無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

冬の歩調

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ーー確かにお前の言う通り、冬はたぷたぷした猫と暮らしたくなるね。

 

 

夜中の静かな高速道路を走っている。子どもの頃は後部座席のまんなかに座り、ブレーキランプの赤が連なる車列を眺めながら「いま誰が先頭を走っているんだ?」といつまでも考えていた。レースではないのだから先頭が存在しないことは確かで、でも自分の車が先頭ではないことも同じくらい確かなことだったから、なおさら不思議だった。

 

 

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https://goo.gl/maps/Yq9qA7r1fSywpgGy5

「高速道路の案内標識って、ふたつの地名が並んでるとフルネームにみたいになっていることがありますよね」と助手席のあなたは言う。ぼくは会話の弾みを失わせないために反射的に笑いながら、「そういうのって見つけた瞬間はちょっと嬉しくなるけど、わざわざ覚えておくようなことでもないよね」と口走ってしまい、そしてそのことを長らく後悔する。

以後、ぼくは人名的な案内標識を見つけてはメモすることにしている。見つけるのは基本的にいつも運転中なので、メモできるまでに失念してしまわないよう「高丸舞子、高丸舞子、高丸舞子……」と何度も声に出しながら運転を続ける。採集した名前はiPhoneのメモ機能に記録している。高丸舞子、小野稲美、竹野香美、川西小花ーーなぜかあなたの名前は思い出せない。

 

 

信号待ちするトラックの車体に「競走馬輸送中」と書かれていた。車体側面の小さな窓を覗くと、暗闇のなかに美しい毛並みがぎらりと輝くのが見えた。馬だ。確かにこの道を行けば阪神競馬場がある。彼らはどこから来たのだろう。馬に限らず、生き物にとって移動は多かれ少なかれストレスになるはず。元気かい?と小窓をもう一度覗くと、中でごそごそと動いているのが感じられ、微かに鳴き声がした。元気そうなので案外居心地は悪くないのかもしれないな。もしかしたら中堅くらいの馬が「マジで移動だりー。調教師さーん、これウチらで走ったほうが早くないっすか?(笑)」みたいな香ばしいことを言っているかもしれない。馬にだってそういう時期はあるだろう。体育会系の馬なんだし。

 

 

あらゆるもの、と声に出したときに想像しうる宇宙は、ひとそれぞれ異なるひろがり。銀河は銀河でどら焼きのかたちをしている。

 

 

定期的に通っている駅の商業施設に大型バスが突っ込んだ。割れた硝子の破片がきらきらと足元に落ちている。自分を死たらしめるものは身の回りに有り余るほどあり、自分を生かそうとするものといえばほとんど自分自身くらいであることを考える。よく30年も生きてるなと思う。みんなよく生きてるなと思う。生存バイアスだとしても。

 

 

冬の歩調

迷宮として名高い梅田の地下街を歩いている。かつて我々のセーブ・ポイントとして重宝されていたミラノ風の噴水は数年前に姿を消し、その近くの丸ビルのタワーレコードもいつの間にやら閉店してしまった。(そもそも丸ビル自体も解体されるらしい。丸ビルの外壁を甲子園みたいに蔦を這わせる計画はどうなったのだ。)梅田ダンジョンは足を踏み入れるたびにその姿を変える。昨日あった通路が今日もあるのは限らない。

噴水の跡地からJR大阪駅の改札口へと向かう地下通路はいつも多くの人がぞろぞろと行き交う。自分もその雑踏のなかでコートに手を突っ込んで歩いている。気づけば通路は緩やかな坂に変わっていて、自分の前をゆく車椅子がぐぬぬんっと減速するのがわかった。二足歩行だとほとんど意識しない程度の傾斜だが、車椅子で登るには酷かもしれない。そう思って観察していたら案の定その人は車椅子を漕ぐ腕をぶん回し始めたので、人見知りが稀に発揮する謎の瞬発力で「押しましょか」と斜めから声をかけてみた(こういうときまじで関西弁って便利よなと最近よく思う)。「ああ、ありがとうございます……助かります……」という反応からして迷惑ではなさそうだったのでよかったが、相手も割と人見知りな様子だった。十年振りくらいに押す車椅子のハンドルは思っていた以上に滑らかで、気を抜くと左右にふらついてしまう。まっすぐ進まねばと心掛ける。背後から無言で押されるのも怖いだろうと思い、「……どこまで行くんですか?」と話しかけてみたが、なんだかナンパしてる人みたいだと思って恥ずかしくなる。「ああ、えっと、そこ(スロープの終わり)までで大丈夫です……」とナンパを断る人みたいなことを言わせてしまって申し訳なくなった。

スロープを登りきり、雑なナンパを見事に振り切ったその人は、小さなお礼を告げたあと人波のなかにすーっと消えていった。もしこのまま、あの人の目的地まで一緒に着いていったら、ぼくはきっと元の場所には戻れなくなるだろう。ここは梅田ダンジョン。現代都市のラビリンス。誰もが自分の目的地までの道のりしか知らない。

 

<おしまい>

 

『ANOTHER NEW YEAR』- Homecomings

秋の歩調

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秋の気候が好きだ。気分だけでなく体調もよくなる。自軍の色のインクのなかを泳ぐスプラトゥーンのような軽やかさで、駅の階段をタタンタタンと小気味よく降りている。夏の倦怠感はきっと、からだに敵軍のインクがまとわりついていたんだろう。わかばシューターから放たれたイチョウの葉は、街を秋の色に塗りつぶしていくんだぜ。(?)

 

 

無印良品の店内で小さいサイズの冷蔵庫を見ていたら、近くのダイニングテーブルでおままごとをしていた女児に「さむいのでレイゾウコしめてくださぁい」と声をかけられた。「あ、はーい」と返事して冷蔵庫の扉をぱたんと閉めた。その瞬間、その場にいた大人たちはみな、自分がおままごとのエキストラであったことを知る。こういう光景に遭遇するとどうしようもなく朗らかな気持ちになって、なぜか泣きそうになる。

 

 

乗っていたエレベーターが緊急停止した。 5分も経たずに再稼働して無事に扉が開いたが、 ハーゲンダッツを食べながら扉から出てきてしまったのでちょっとだけ反感を買ってしまった。なぜか泣きそうになる。

 

 

夜がきて「夜の帳が下りた」と思ったことは一度もない。だから夜がきたことを「夜の帳が下りた」と書いてしまうのはなんかちがう気がして一度も書いたことがない。自分の感覚が伴っていない表現はなるべく避けている。そんな感じで、自分は使う気にならないんだよなとぼんやり思っている表現をみなさんに聞いてまわりたい。でも聞いてまわってしまうときっとぼくは簡単に納得して、今後その言葉を使えなくなってしまうかもしれない。単純に禁じ手が増えるだけになりそう。禁じ手はないほうがいいんだよな、ほんとうは。何事においてもそうだけど、自分で勝手に禁じ手にしているだけの、鍵のかかってない開かずの扉が世の中にはたくさんある。なるべくひらいていこうね。

 

 

自分とまったく関係のない人が今日もどこかで生きている。そんななんでもないようなことに常日頃から救われているから、自分とまったく関係のない人がどこかで亡くなったというニュースにこころを痛めてしまう。

忘れたい人が忘れられるためにわたしが忘れない。つらいニュースを、それでも追う理由になっている。

 

 

大阪という土地柄、街なかでお笑い芸人を見かけることが多い。ぼくは街で有名人を見かけても基本的には声をかけないと決めているのだけど、もしいつかこの人と遭遇することがあれば勇気を出して声をかけようと昔から思っている人がふたりだけいる。藤原基央小沢健二である。そこに鈴木もぐら(空気階段)を追加すべきか否か、ひとりで審議中である。

 

 

秋の歩調

いつものように駅の改札を抜けると、ふたりの子どもの手を引いて歩く小沢健二の姿が目に入った。あっ、小沢健二だ、と思った。小沢健二のインスタグラムをフォローしているので、たびたび大阪に来ていることは知っていたけど、まさかほんとうにいるとは思わなかった。どうしようどうしようとうじうじしていると小沢健二がエレベーターのボタンを押したので、いましかないと思って「小沢さんですか」と声をかけた。いや、小沢さんですかと声をかけたつもりだったけど、こちらを振り返った瞬間の目元が完全に小沢健二だったので「オ、オザワサン……」としか言えなかった。笑ったときの目元がさらに小沢健二だった。コロナ禍なので握手はできないよな、と思っていたらグータッチをしてくれた。リーリーくんと天縫くんもぼくに向かってなにかを喋っていたはずなんだけど、ごめんまじで自分が次に何を言うかと小沢健二が次に何を言うのかに全神経が注がれていたので何ひとつ聞き取れなかった。エレベーターの扉が閉まる瞬間まで得意先を見送るみたいに礼をしてしまって、あとで思い返して自分でもおかしいなと思った。うれしかったな。でもなにも言えなかった。活動休止中にファンになったので活動再開がとてもうれしいですって言えばよかった。魔法的は大阪で、春の空気に虹をかけは武道館で観ましたって言えばよかった。ドゥワチャライクが読みたくて神保町で雑誌『Olive』をさがし彷徨ったって言えばよかった。『シナモン(都市と家庭)』の季節ですねって言えばよかった。男子の気分/女子の気分って表現は大発明やねって言えばよかった。『うさぎ』が手に入らなくて困ってんねんって言えばよかった。『ある光』の歌詞は僕の大事なものにもなっているって言えばよかった。でも声をかけられてよかった。好きだと伝えられてよかった。

 

後日、小沢健二に遭遇したことを知人に話すと、オザケンオーラあった?と尋ねられた。オーラというものは正直よくわからないけれど、子どもたちの手を引いて歩く小沢健二の姿を眺めていたとき、駅構内にいた他のすべての人が小沢健二とは逆方向に歩いていたような気がする。多くの人が往来するターミナル駅なのでそんなわけないんだけど、でもそのときの情景を頭のなかで再生するとそうなる。そう答えると意味わからんと笑われた。でもそれはぼくがあとから勝手に幻想化しているだけというか、小沢健二だってすごく当たり前に街で暮らしている人でしかないよなと改めて思う(さすがに改札機の横で乗り越し精算する小沢健二の姿はシュールではあったけれども)。いつか漆黒の/純白のNYシティの中に姿を消したあとも彼は、確かにその街のなかで暮らしていたはずで、そのことをしっかりと実感を持って感じられるようになったことが今はなによりうれしい。

 

<おしまい>