無印都市の子ども

文学と音楽とポップカルチャー系

彼岸

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お盆休み前の慌ただしい仕事を終えて、大阪環状線をめずらしく左回りで帰った日、iPhoneに知らない番号からの着信履歴が残っていた。
基本的には応対せずにそのまま放置するのだけど、0120から始まるフリーダイヤルだったので念のために電話番号をGoogleで検索してみると、それは自分のうまれた病院からの着信だった。

 

はて、淀川キリスト教病院がいまさらぼくになんの用だろうか。思い当たる節がない。通院しているわけではないし、家族の誰かが最近そこで診てもらったわけでもない。そもそも、なぜぼくの携帯番号を知っているのか。かけてくるとしても自宅ではないのか。
いろんな可能性を考えてみたが、どれもピンとこない。ありうる話としての大本命は間違い電話だが、そうじゃないとしたらなんだろうか。もしかしたら、と思う。いちばん最初に浮かんだものの、いやまぁそんなわけないか…と除外した、あの可能性しかないように思えて、実感のないその言葉を電車の中で小さくつぶやく。
「取り違えの発覚…よその子説…」

 

その日のうちに折り返しの電話を入れてみたが、夜も遅かったので病院の緊急用部署?につながり、こちらでは対応しかねるので明日の営業時間中にかけ直してくれ、と言われて通話を切られた。
念のため母親に淀キリ病院から着信があったことを伝えると「取り違えやな。やっぱり。兄弟の中であんただけ似てないと思ってたわ」と返された挙句、「淀キリ病院やし、取り違えた相手の家は西宮とか芦屋のええところの家の可能性もある」と謎の希望的観測を繰り広げていた。

 

翌日、仕事の昼休みにあらためて病院に電話をしてみると、今度は受付の人が対応してくれた。しかし、シオミソウスケさんに電話を入れたという履歴は残っておらず、誰がどういう用件で連絡したのかはわからないという。
何か思い当たる節はありますか?というので、「しいて言えば、自分がそこの病院で生まれたってことくらいですね」と言ってみたが「あー…」って感じで特にいい反応は返ってこなかった。おそらく間違い電話だと思いますがもし何かあれば改めて電話します、とのことで電話を切る。


地域別に振り分けられている固定電話とはちがって、携帯番号は下1ケタを間違うだけで全然ちがう地方の人につながってしまう可能性が高い。そんな中でたまたま大阪府下の淀キリ病院うまれの人間につながってしまうのか。偶然って怖いなと思うし、どこか必然であったような気がまだ拭えない。

もし取り違えだったら病院とか裁判所とか行かなきゃなぁなんて冗談半分で考えていたら、そういえばぼくは淀川キリスト教病院には物心がついてから一度も行ったことがない、ということに気がついた。正直どのへんにあるのかちゃんと把握しておらず、なんとなく淀川の向こう側にあるということくらいしかわかっていなかった。いま勤めている会社の食堂の窓からは淀川がよく見える。淀川は東から西に流れる大きな川だ。土曜日には淀川花火大会があって、会社の周辺は多くの人でごった返すらしい。

 

 

淀川花火大会はその名の通り、淀川のまんなかから打ち上げられる。北方から来た人たちは淀川の北側、南方から来た人たちは淀川の南側で花火をみることが多い(そりゃそうだ)。

北も南も大勢の人で賑わう中、花火が打ち上がる。大阪の南からやってきたぼくは、当然のことながら淀川の南側から花火を眺めていた。何万という人が同じひかりを見上げている光景はとても平和的で、自分はいま夏の只中にいるのだと強く感じる。梅田周辺も含めて街全体が花火大会会場になってしまうことに一種の暴力性を感じなくもないが、実際に花火の煌めきを目撃してしまえば、その暴力はすべて素敵な魔法のように解釈できてしまえる。

連続して打ち上げられる花火が一瞬静まったとき、なんとなくiPhoneを取り出して「淀川キリスト教病院」の位置をGoogle Mapsで確認してみた。やはり病院は淀川の向こう側にあって、地図でみる感じだと割と川沿いに位置しているみたいだ。

間違い電話であることにある程度は確信していながらも、あの場所で自分と取り違えられたかもしれない人のことをおもう。
本来ぼくが生まれ育つべきだった場所で育った12月生まれの同い年の男子は、ぼくの育った場所で本来は育つべきであったわけで、それが幸なのか不幸なのかはお互いにわからない。彼の境遇が不幸でないことを祈ると同時に、おんなじくらいの幸であることもほんの少しだけ願う。
母親の予想を真に受けるわけではないが、もしも彼が西宮か芦屋の家の子であったなら、今年も淀川花火大会をみにきているかもしれず、その場合、彼は淀川の北側から花火を眺めているだろう。対岸を意識する。ほんとうに淀川の向こう側に彼がいるような気がして、しかし真っ暗な川は閉ざされた扉のように重く、とても自分のちからど抗えるようなものには見えない。ふたたび花火があがる。ぼくらは川を隔てながら、話すこともなく、目を合わせることもなく、しかし花火を通して本質的に“会っている”なんて考えてしまう。

背後でたまやーと叫ぶ子どもたちの声と、めぐみーと娘の名前を呼ぶお父さんが飛び交う。彼らの声に混じってこっそりと彼を呼びかけたくなるけど、あいにく彼の名前はわからない。いや、彼の名前ならわかっている。彼こそが潮見惣右介であり、ぼくがわかってないのはぼくの本当の名前だった。彼はぼくをなんと呼ぶだろう。ぼくはぼくの名前で彼を呼び、彼は彼の名前でぼくを呼んでいる。

 

花火の音は夜の街に鳴り響きつづけて、フィナーレの巨大なひかりは街にある様々なものを白くかき消す。夢から醒めたように真っ暗になった河に向かって、我々は拍手をおくり、ぼくらは一度も淀川を渡ることなくそれぞれの帰路につく。さっきまでの妄想が、ぜんぶ妄想でしかないことに、なんとなく、しかし確かな実感が湧いてくる。

 

 

そうしてお盆休みも半ばを過ぎて、74回目の終戦記念日を迎え、台風10号が久しぶりの雨を降らしている。真夏のピークが去った、とはこんな気候のことだろうか。明日からはまた仕事がはじまって、転職したい転職したいと思いながら働いて、いつも通りに環状線を右回りで帰る。あれ以来、淀川キリスト教病院からの電話はない。どうやらぼくは、ぼくのままでよさそうだ。

(Gray)Dust in the wind

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思い出や言葉が頭に留まらないことは、子どものころからなんとなくわかっていた。クラスのだれよりも九九を覚えるのが遅かったし、歴史年表や方程式もテストを終えたらすぐにパッと消えてしまっていることはわかっていた。今にして思えば国語は比較的できていたように思うけど、漢字の読み書きがいつも壊滅的なのでテストの点数がよかったわけではなかった。学年が上がるたびに担任から「ケアレスミスが多い」と指摘された。どこに遠足に行ったとか、あの海に誰と行ったとか、そういうことも忘れた。人の名前と顔なんて思い出せる人のほうがずっと少ない。小中高でそれぞれ何組だったかひとつも思い出せない。確か小1のときは7組だった気がするが確信は持てない。5年間いっしょに働いた人の名前を、退職して半年で出てこなくなった。好きな人の誕生日を忘れてしまう。好きな人のアレルギーを忘れてしまう。何を観ても何を読んでも何を言っても、すべて散ってしまうから意味がなかった。どうせいつか忘れるよといつも心の隅で考えている。だれかが自分のことを憶えてくれていることは嬉しい反面、申し訳ない気持ちになる。なぜならぼくはあなたのことをもう忘れてしまっている。あらゆる嬉しいこととあらゆる悲しいことをストックできずに、なにもかもフローとして扱ってしまう脳がいろんなことを諦めさせた。自分のからだを風が通り抜ける。

 

学校終わりに友達と遊ぶのが死ぬほど嫌だった。会社終わりに飲みに誘われるのが吐くほどつらい。彼らのことが嫌いなわけじゃないし、行ったら行ったで楽しいんだけど。子どもの頃からの訓練のおかげで、誘われた瞬間に言い訳を探すようになった。ひとりでどこかに出掛けるにしても、その予定を立てることとひどく疲れてしまう。自分が行きたくて思い立った癖に、もう行かないほうがいいんじゃないかとすら思えてくる。そして実際に行かないこともある。とにかく予定が入ると酷く億劫になる。それが人と会うことであれ、遊びであれ、当日までずっと憂鬱になる。〆切も苦手だ。執筆依頼を受けた瞬間からずっとそのことを考え続けているのに直前まで手を動かせない。もういい加減やばいって時期になった頃に書き始めるが、その頃にはもうひどく疲れている。本当はもっと早くから準備して、完璧だと思えたものをどーんと提出したい。原稿料が5000円だろうと3万円だろうとその気持ちに変わりはない。期待されると嬉しいが、誰かの期待を裏切るのは怖い。裏切りはいつだって悪意ではなく怠慢から始まる。だれかが幻滅するリアクションをみると立ち直れなくなる。なのに、そのための準備ができない。なんとかぎりぎりで提出したものに対して、好意的なコメントをもらっても、自分自身はその成果物に自信がないのでぜんぶ嘘に聞こえてしまう。気を遣われているんだと思ってまた自己嫌悪になる。消えたくなる。ぱっ。

好きなものや愛しているもののすべてがどうでもよくなって、自分から突き飛ばしてしまうことがある。両手でどんと突き飛ばして、しかし崖の下に落ちるのはいつも自分のほうだった。それでよかった。好きな人やものを意図的に傷つけることはできなかった。昔好きだったものといま関心あるものは全然違うが、昔好きだったものを嫌いになることは一度もなかった。昔好きだったものを、だれかが愛でていることを知っても、それは共通点として成立しない。ああそれ俺も好きだった、過去形だ、手放してしまった、自分のなかには塵もカケラも残っていない、ただ通り抜けただけ、情熱も憶えていない。

そしてようやく自分を救済してくれたインターネットのことを、SNSのことを、ブログのことを、そこで出会ったひとたちのことを、また突き飛ばしてしまうような予感に満ちている。もともと更新頻度は高くないが、それなりに継続できていたブログを9ヶ月間も更新できていない。いま使っているこの名前も、きっとすごい早さで忘れて、いつかふいにブラウザのブックマークか何かをきっかけに思い出して、あんなに恵まれていたのにどうしてあのとき手放してしまったのだろうかと崖の下で泣くのだ。知ってる。そういうことは何度もあったし、そのなかのいくつかは忘れてしまっている。

忘れないことが愛していたことの証明であるとしたら、ぼくは何も愛せていない。海辺で手を振るあなたに「いつまでも忘れないよ」と誓うことはできないから、「いつまでも忘れないでくれ」とは死んでも言えない。