無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

『家、ついて行ってイイですか?』から考える“他者への想像力”

 

「似た人生は同じ人生ではない。そこには違いがある」

引用:ネイサン・イングランダー『若い寡婦たちには果物をただで』(新潮社)

 

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いまの地上波テレビが面白いか面白くないか?については、人それぞれとしか言いようがないのだけど、最近ぼくが誰に対しても「これおもしろいよ!」と薦めている番組があって、それは街を行き交う人に話を聞くドキュメンタリー風の「インタビュー番組」である。

今回はそれの面白さと、最近ぼくが番組を通して考えていることを書く。

テレビ東京『家、ついて行ってイイですか?』と、NHKドキュメント72時間』がおすすめなのだけど、今回は特に『家、ついて行ってイイですか?』にフォーカスして書こうと思う。

どちらの番組も、たまたま街を通りかかった素人に対して、番組スタッフが声をかけてインタビューを行うというもの。

かつての『銭金』のように一癖ある人物の生活をお笑い芸人が面白おかしくいじるわけではない。特に『ドキュメント72時間』のほうはNHKらしく非常に淡々としている。

 

普段私たちが街を歩けば、当然のことながら周りは知らない人ばかりで、また自分自身も匿名的な存在となる。誰も自分のことを知らないし、自分は誰のことも知らない。
それが都市空間のいいところであると同時に、通行人がみんな漫画のモブキャラのような存在に思えてしまうという想像力の欠如が生まれてしまう。

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当然のことだけど、しかし当然すぎて忘れてしまいがちなことーー通行人たちひとりひとりにも自分と同じように生活があり人生があるということーーを番組を通して実感していく。
夜の通勤電車の中で顔を上げてみれば、みんなが普通の人生を普通に送っているように見えてしまうことがある。自分だけが普通でないような気持ちになる。

しかしきっと、それぞれに話を聞けば、生活の問題があり、家庭の事情があり、人生の悦びがあることを知ることになるんだろうと思う。
たとえ自分が、人生のどこかのY字路で9:1のうち1のほうを進んだマイノリティーな存在であっても、あぁ別に自分だけが特別な環境にいるわけではないんだな、と思うのだ。多かれ少なかれみんなどこかのY字路で9:1の1を選んだことがあって、みんな各々の立場で色々ともがきながら生活を営んでいる。

普通の人生なんてないし、普通の生活なんてものも幻想でしかない。みんないろいろある。当たり前だ。当たり前なはずなのに。
なんでそんな当たり前なことを忘れてしまうのか?

 

 

解きほぐされてゆく偏見と好感度

『家、ついて行ってイイですか?』では、終電が終わったあと街に残っている人に声をかけることが多く、ちょっと警戒してしまいそうな第一印象の人物であることがしばしばある。例えばいかにもチャラそうな若者や、ちょっとみすぼらしい格好をした中年男性、それはあまりにケバ過ぎない?と思うような中年女性、といった具合に。

話を聞いているうちに、その人の背景が徐々に明るみになり、微笑みに奥行きができて、足元に影ができる。第一印象はみごとに裏切られてゆく。第一印象とはつまり「偏見」である。

こいつはどうせ遊んでばっかりだろうとこっちが勝手に値踏みしてしまいがちなギャルも、はいはい人生の勝組かよとこっちが勝手に卑屈になってしまいがちなエリートサラリーマンも、Let It Beが流れるころには好感度が高くなっていて、最後には彼ら彼女らのこれからの人生を応援してしまっている。

状況が好転してくれるといいね。いい人に巡り会えるといいね。Good Luckとしか言い表しようのない感情、誰かの幸運を祈るってこういうことだ。

 

 

家を覗くという暗喩とインスタグラム

番組に出演した人のほとんどが視聴者にいい印象を残していくのは、彼らが「家」を通して「人生」を、そして「弱み」を見せているからではないだろうか。

 

普通ならば他人に覗かれたくはない「家の中」を、彼らはテレビカメラに撮影される。

しかしそれはあくまでメタファー(暗喩)でしかなくて、本当に覗かれているのは彼らの「人生」だ。そしてその大概は、人生の中のおいしい部分ではなく、苦い部分であったり酸味の強い部分である。例えば離婚のこと、リストラのこと、失恋のこと、うまくいかなかった親子関係のこと、癒えない挫折の傷のこと、病気のこと、もう会えないきょうだいのこと。

つまり、彼らは「弱み」を見せている。隠したい過去ってほどでないとしても、見ず知らずの人や初対面の人にわざわざ話すのは憚れるような内容がほとんどだろう。

 

他人の人生への好奇心は、たぶん少なからずみんな持っていて、テレビ画面を通すことで傷つかずにその話を聞いて満足している。そういうものをみんな覗きたいのだ、普段そういうものを覗ける機会がないからこそ。

それぞれの人生にあらわれる違いを、なるべく表に出さないように努めるのが人のたしなみだとしたら、違いを察してもとりあえず気づかないふりをするのが世の中というものなのかもしれない。

引用:松家仁之「ほんとうの話」

そんなものが次から次へと簡単に表に現れるような社会は、たぶんしんどい。円滑なコミュニケーションを進めるために、匿名的で透明的なモブ的存在になっていく。お互いに心の中の好奇心を隠しながら。

 

一方で、人には自己顕示欲があって、誰かに見せびらかせたい自分の姿も存在する。しかし残念ながら「人に見せたいもの」と「人が覗きたいもの」は大きく乖離する。つまり、「Instagramにアップする自分の姿」と「人が本当に覗きたいと思っている自分の姿」は違うということだ。

誰かがテレビでInstagram的な姿を披露して、そのBGMにLet It Beを流したとしても、きっとさっきのような「いいね!」は灯らないだろう。

誰かの幸運を祈るってどういうことだ。

 

 

優しさの半分は想像力でできている

その文化が好きか嫌いかは別として、Instagram的な価値観がいつまでも続くとぼくには思えない。だから、Instagramとは真逆の価値を提示する番組がいま人気であることは、次の時代の潮流を垣間見ているように思えるのだ。

本当に人と分かち合いたいものってなんだ。本当に想像しなくちゃいけないものってなんだ。誰にも人生があって、誰にも生活がある。『家、ついて行ってイイですか?』『ドキュメント72時間』を観ていると、そんな想像ばかりが膨らんでいく。

誰かの何かひとつひとつに気づいていくことだけが、日常を豊かにしていくのだと信じている。そしてそれはきっと、人に優しくすることにつながっていく。

修正不可能な言動だけが積み重なって、私たちは今日も生きていく。たとえ積み重なったものが「弱み」であっても、それはきっと悪いことではないと思う。

<了>

小沢健二とSEKAI NO OWARIが一緒にある世界へ

 

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小沢健二SEKAI NO OWARIの『フクロウの声が聞こえる』がリリースされ、Mステに出演しました。

「賛否両論を呼んだこの2組の組み合わせについて」と「2組に共通する地上波テレビとの付き合い方について」、今回は一人対談形式で語ります。

おいおいオザケン、なんでコラボ相手がセカオワなんだよ……なんて思っちゃった人に向けて書いたつもりです。

 

* * *

 

小沢健二SEKAI NO OWARIが一緒にある世界

司会者「先日、小沢健二SEKAI NO OWARIがコラボした『フクロウの声が聞こえる』が発売になりました。」

潮見「魔法的ツアーで披露された新曲の中では『飛行する君と僕について』『フクロウの声が聞こえる』が特に印象に残っていたので、今回のリリースはとても嬉しいです。魔法的ツアー全体を通して、米国作家のリチャード・ブローディガンの『西瓜糖の日々』を彷彿させるなーと思ったのは、『フクロウの声が聞こえる』の影響がいちばん大きかったんだと今回気づきました。」

司会者「SEKAI NO OWARIとのコラボについてはいかがでしょうか?」

潮見「その2組の組み合わせだと発表されただけでもう最高!!!と思いましたが、楽曲を聴いてさらに最高だなと思いました。世代は違えど、歌い方などがよく似ているともともと指摘されていたふたりだったので、その声々がサビで合わさったときは、なんというか、2017年!って感じがしましたね。」
司会者「2017年って感じとは?」
潮見「想像だにしないことが起こる嬉しさって感じ。」

司会者「SEKAI NO OWARI小沢健二のコラボなんて、想像を超えていますよね。」

 

司会者「世間では、コラボ相手がSEKAI NO OWARIであることが発表されて、小沢健二ファンからは落胆の声が多かれ少なかれありました。」
潮見「まず前提として、100%全員に賛成されるようなコラボはないと思います」
司会者「とはいえセカオワかよ。。。っていう。」

潮見「SEKAI NO OWARIに対する偏見についてはあとで喋るとして、小沢健二と同時代に活躍したアーティストがコラボすれば、その摩擦も少なかったとは思います。でもそれでいいのか?っていう。」
司会者「だめですか?」

潮見「だめじゃないですけど。うーん、例えば、90年代における自身の活躍を参照しながら再活動を始めたバンドはここ数年だけでも多くいましたけど、小沢健二のそれは違いますよね。」
司会者「まったく新しい活躍ですね。」

潮見「まったくかは分かりませんが、新曲をたくさん抱えて帰ってきたわけですからね。」

司会者「ただ懐古的なわけではないと。」

潮見「それに、ある程度遠い立ち位置にいる人と組まないとコラボって意味なくないですか。酢豚にパイナップルを投げ込むからこそコラボであって、オレンジとパイナップルを同じ皿に盛っても、それはコラボじゃないですよね。」

司会者「『フクロウの声が聞こえる』の歌詞に通じるところがあるかもしれませんね。」

潮見「Twitterでみんな言ってますけど「小沢健二SEKAI NO OWARIが一緒にある世界」なわけですよ。時空のねじれを感じますよね、一体今は何年なんだよ?!みたいな。」
司会者「2017年!って感じがするってさっきあんた言ってなかったか…?」
潮見「まぁ、要は同じことです。」

 

 

アーティストと地上波テレビ

司会者「SEKAI NO OWARIについては、潮見さんはとても評価してしますね。」
潮見「評価しているって言うと上から目線すぎてあれですけど、彼らがどこへ向けて音楽や言葉を発しているかと言うと、明らかに自分よりも下の世代だと思うんですね。」
司会者「今の中学生や高校生ですね。大学生もか。」
潮見「あとで言いますがその枠の中に小学生まで入ってくるところがSEKAI NO OWARIのすごいところです。」
司会者「潮見さんの世代(26歳)には向けられていないと。」
潮見「はい。でも、たとえ自分に向けられていないものであっても、その役を買って出ていることはとてもすごいことだというのは伝わっていますし、それを否定する大人にはなりたくない。」

司会者「その役を買って出ている、というのは?」

潮見「もともと、本当に人気なバンドって地上波テレビに出演しなかったじゃないですか。誰からの流れなのか知りませんが。吉田拓郎?」
司会者「そうですね。吉田拓郎からの流れを今も引きずっているとは思えませんが。」
潮見「そんな流れに危機感を覚えて、風穴を開けるように突破していったのがサカナクションだと思うんです。」
司会者「サカナクションは音楽的にもプロモーション的にも本来なら地上波テレビに出ないほうがバンドの雰囲気に合っているように思えますね。」
潮見「サカナクションは「テレビに出るのはかっこ悪い」みたいな風潮の中で、「いや、今の時代むしろテレビに出るほうがカッコいいぜ?」という流れに持っていったんですよ、すごいぜ山口一郎!」
司会者「それ以降、地上波テレビに出ていなかったバンドがたくさん出演しましたね。
BUMP OF CHICKENRADWIMPSDragonAshSEKAI NO OWARIクリープハイプ、アレキサンドロス、キュウソネコカミやキートークなども、サカナクションの流れがなければテレビに出ない方向性を取っていた可能性もありますよね。」

 

 

お茶の間のポップアイコンとしての小沢健二SEKAI NO OWARI

潮見「2年前に地上波テレビ初登場したハイスタンダードのKen Yokoyamaが、自身のMステ出演について「もっと若い子にバンドに興味を持ってもらいたい」とコメントしていたんですね。」

司会者「これまで地上波で演奏していなかった彼の、その決意を受けた上で聴く演奏はとても沁みるものがありましたね。」

潮見「くそかっこよかったですね。そのKen Yokoyamaの決意が示すものと同じ方向に向かって、今いちばん活動していて今いちばん結果出しているのは、どう考えてもSEKAI NO OWARIだと思うんですよ。」
司会者「つまり、SEKAI NO OWARIの活動が、小学生中学生が音楽に興味を持つきっかけとなる存在になっていると。」
潮見「実際、ライブは小学生めっちゃ多いですからね。」

司会者「みんな口ずさめるんですよね、RPGとか。」

潮見「しかもSEKAI NO OWARIって『ちゃお』でマンガ化されているんですよ。」

司会者「ロックバンドなのに。」
潮見「今の小学生、普通に過ごしていればAKB系列のアイドルやジャニーズアイドル、あとはエグザイルグループなどが目に入ってくるメディア環境の中で、バンドの中で最もポップアイコンとして矢面に立っているんですよSEKAI NO OWARIは。」

司会者「小さい頃に観ていた、というのは強いですよね。」
潮見「そうですよね、例えば1990年生まれのぼくがポンキッキーズで彼を観ていたように。」

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司会者「なるほど、ポンキッキーズ小沢健二がそうであったように。」

潮見「テレビにばんばん出ると楽曲よりもイメージが先行してしまうからこそ、いろいろな逆風や偏見を受けてしまうわけですけど、それを厭わずにしっかりと子どもから大人まで、生活の中に届く音楽と言葉を発信し続けている。」

司会者「確かに、趣味の細分化が指摘されている2017年にはなかなかできるものではないかもしれませんね。」

潮見「小沢健二の時代であっても簡単ではなかったと思いますよ。今回のMステは、そんな2組が一緒に地上波テレビで歌うから意味があったのだと思います。」
司会者「いい感じに締まりましたね。」
潮見「いい感じに書けた。でも実はSEKAI NO OWARIについてはもっと語りたいんです。彼らのクリエイションは、ロキノン期、ファンタジー期、そしてドラゲナイ以降に分けることができて、多くの人はファンタジー期の印象で止まっているけど、ドラゲナイ以降の楽曲のクオリティすげぇぞと。」
司会者「それはまた次回でお願いします。」

潮見「はてなブログの下書きにストックしているので、機会があれば。」
司会者「ありがとうございました。」
潮見「ありがとうございました。」

<了>

 

フクロウの声が聞こえる(完全生産限定盤)

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西瓜糖の日々 (河出文庫)

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相反するふたつが一緒にある世界へ!と叫ぶふたりの姿、最高にエモいですね。いい時代だー。

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