無印都市の子ども @shiomiLP

平成ポップカルチャー と インターネット自由研究

眼鏡の文学性

 それはいつだって、忘れた頃にやってくる。

 2ちゃんまとめサイトに「眼鏡っ娘の画像」の記事が立ち、眼鏡を掛けた女の子の画像(二次三次を問わず)が縦に並んだものをスクロールして楽しんでいる。

  けれど観ていて見ていて嫌になることがあって、それは「オシャレメガネ」の画像が圧倒的に多かったりするからだ。

 僕が観たいのは弱い視力を補うための器具としての「眼鏡」であって、オシャレな雰囲気、知的な雰囲気を醸し出すための「メガネ」ではない。 

 

 ※この記事では利便上、愛すべき前者を「眼鏡」とし、憎き後者を「メガネ」とする。

 

 

 数年前から「メガネブーム」があって、そこで「オシャレメガネっ娘」や「メガネ男子」なるものが大量発生した。

 もっと歴史を紐解けば2004年に、とあるブログ女王が眼鏡を掛けた自撮り写メをブログに上げたことがそもそもの始まりだと僕は思っている(その写メで彼女のブログのアクセス数は一気に伸び、ブログの女王となったのだ!)

 

 

 では、記事のタイトルも「文学性」と言っちゃってるので、眼鏡メガネが意味するものの違いを述べていきたい。

 眼鏡とはウラであり、メガネはオモテである。

 

 スーパーマンという古典的なキャラクターがいる。 

 彼は、普段は眼鏡を掛けて正体を隠して生活している。そして眼鏡を外して着替えることで、オトモの顔、スーパーマンとなるのだ。眼鏡を外した先に本性がある。つまり眼鏡を掛けているということは、「本当の何か」を隠した状態であり、そこが魅力的なのである。

 もしスーパーマンが、普段の生活を裸眼で過ごし、メガネを掛けることで変身するのであれば、それはオシャレアイテムであり、「メガネ」であろう。 

 他にも、何考えているか分からない怪しい奴という二面性、仮面性を持ったキャラに眼鏡は掛けられている。 こちらには見せない何かを隠してることや言葉と内心が乖離しているキャラだ。

 

 数年前まで流れていたコンタクトレンズ「アキュビュー」のCMに、「普段眼鏡を掛けて冴えない私も、コンタクトにすれば気になる先輩も振り向いてくれる!」という内容のものがあった。

 キャッチコピーは「ほんとの私、デビュー☆」。

 眼鏡を外したら「ほんとの私」、つまり「オモテ」なのだ。

 眼鏡を掛けた状態はウラなのであるのよ。 

 

 メガネにはそう言った二面性、仮面性はなく、魅せるためのオシャレアイテムである。メガネに合わせて今日のお洋服をコーディネートするなんて、眼鏡っ娘は考えたこともないはずである。

 同じ形の眼鏡/メガネであっても、ジョニーデップのそれはメガネであり、アラレちゃんのそれは眼鏡なのだ。しかし、デップメガネ、アラレメガネとして今販売されているものはどちらもメガネだ。あくまでアラレちゃん本人のそれに限り眼鏡なのだよ(ペ・ヨンジュンのそれは僕には判らないが、眼鏡市場とタイアップした時点からメガネだろう)。

 

 最後に、「眼鏡 文学性」でググったらこんなツイートが見つかったので、貼っておきます。

 

 

  おやすみなさい。

 

 あ、僕のブログはhatenaアカウントを持っていなくても、誰でもコメントできるので、 記念に何か書いていっちゃってくれたら嬉しいです。

 

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...