無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

僕が村上春樹を読む理由

 

コミュニケーションの為の小説

たとえば、芥川賞受賞作(純文学と呼ばれるもの)の楽しみ方は「自分と作品(作者)との対話」 だったと思います。だから読者にとってその本が「売れている」ことや「話題である」ことはあまり関係がありません。「自分の好きなものを読めばいい」というスタンスでOKでした。

けれどここ数年の傾向としてベストセラー上位の作品に人気が集中するようになってきています。

それは、僕たちが誰かとのコミュニケーションする時のネタとして小説を読んでいるという側面がとても大きくなったということなのだと思います。

つまり、消費の目的が「自分と作品(作者)との対話」から「自分と同じものを消費した誰かとの対話」へと変化してきたということです。

「自分の好きなものだけを読めばいい」というスタンスで選んだ小説では、誰かとのコミュニケーションを生みだしづらいですよね(だって誰も読んでない本じゃ語り合えないじゃん!)。
コミュニケーションできる人の数や機会を多く生み出してくれるのは、普通に考えて「ちょっとレアな玄人好みの本」ではなく、ベストセラーの小説でしょう。

 

そういった傾向は、小説をはじめとするあらゆる作品(映画、アニメ、音楽etc…)に言えることだと思います。

最近ほとんどテレビの連続ドラマを観なくなったのに、「〇〇というドラマが視聴率が良い」と聞いて途中から観たなんてことありませんか?(『家政婦のミタ』とか『半沢尚樹』とかね)

 

 

村上春樹

「放置されたままのメタファー」や「いか様にも解釈できる会話文」、「物語のふわっとした結末」がコミュニケーションを誘発させているのです。つまり、コミュニケーションのネタにしやすい小説を日本一上手に書く作家が村上春樹なのです。  

 

 

ソーシャルメディア時代

僕がさっきから「誰か」という言葉で表している「コミュニケーションを取る相手」ですが、別にそれは友人知人でなくてもOKなのです。インターネット出現後(もっと言えばソーシャルメディア出現後)、その「誰か」は爆発的に増えました。

TwitterやBlogで村上春樹について文章を書いてる人は山ほどいます(例えばこのブログ記事もそうです)。 

村上春樹の作品を読んだら、「作品名 考察」でググってください。超楽しいです。むしろ僕は、村上春樹の作品そのものよりも、そこから生まれるコミュニケーションこそが主な楽しみです (ブログ等を読む事もコミュニケーションだと僕は思っています) 。

他の小説とは楽しみ方が異なるわけなんですよ。

 

僕は英語を話せるわけではないので、海外の村上春樹読者と語り合うことはできませんが、TumblrというWebサービスに村上作品の絵を描いてアップしています。決して上手くないのですが、多くの外国人さんがレスポンスを返してくれます。 同じ物語を消費した者同士として小さなコミュニケーションが生まれていて僕はそれがとても楽しく嬉しいです。 

 ちなみに僕は村上春樹さんの短編『中国行きのスロウ・ボート』と『蜂蜜パイ』が好きです。たまらんです。

<了>

 

 

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

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神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

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