無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

芥川賞『爪と目』感想 -視点の特権と魂-

 

田中慎弥著『共喰い』・鹿島田真希著『冥土めぐり』と、なかなか好みの作品が続いている芥川賞

今回受賞した藤野可織さんの『爪と目』。

爪と目

爪と目

まぁ特別面白いかって言われるとそうでもないし、「如何にも芥川賞っぽいね」って感想しか浮かばないです。

でもやってることは面白いし、実験的な作品が増えるのは面白いので大歓迎です。

この小説の特徴は「二人称」であること。また、「視点」も独特で面白い試みだと思ったのでそこんところの感想を書こうと思います。

 

 

人称

小説で用いられる人称は主に一人称*1と三人称*2の二種類なのですが、稀に二人称(あなたは・きみは)を使う作品が現われます。

純文学の二人称小説で有名なのはミシェル・ビュトール著『心変わり』とかですかね。

『爪と目』では、3歳の女の子(語り手)が父親の愛人に向かって「あなたは……」と語り掛けます。

二人称を用いることによって、冷徹な口調の語ることの「薄気味悪さ」がより強調されていると感じました。もしも、愛人の麻衣が「私は……」と一人称で語る形をとったり、「麻衣は……」と三人称でだらだら紹介されていたらとても詰まらない内容になっていたかも。

 

 

視点

Amazonレビューで酷評していた方が 《三歳の女の子(語り手)が知り得ないことも知っていて、見てもいないことが見える》と指摘していました。見えないところが見えるどころか、愛人の心理すら読める語り手なのです。

 

「三人称」は物語全体を俯瞰できるので「神の視点」とも言いますが、それに近い特権的な視点をこの語り手は持っている。

それ自体は別に新しいことではなくて、例えば岡田利規の『わたしの場所の複数』という短編では、「私」がかけた電話の相手が今現在どのような様子なのかを描写できてしまえる。つまり本来見えないところも見えている。

まるで語り手の魂だけがどこかに飛んでいって風景を見て描写していたり、別の人間の中に入り込んで心理描写をする、というやり方は小説だからスムーズにできる技なのだと思います。

 あ、でもNHK朝ドラ『あまちゃん』の天野夏もそういう語り方していますよね。あれも、夏本人がいないところで起きた出来事を語りますし、アキに憑依するようにアキの心理を語る。とても霊的で、おそらく物語の後半で夏は死ぬんじゃないかと僕は思っています。

 

 

おまけ -小説の成分-

小説というものがどのような成分でできているかというと、大雑把に分けて三つあります。

それは「物語」と「描写」と「語り」。

「物語」とは、お話の筋・展開・プロットのことです。映画にしてもそうだけど、物語の展開だけ見て作品を面白い/くらだないと判断するのはとても勿体ない。

「描写」はほぼ絶滅寸前かもしれませんね。人や物、風景を描写する文章がたくさんあるものを、人は「難しい」と判断している。ライトノベルはケータイ小説が読みやすいのはこの描写がほぼ皆無だから。ラノベには絵が付いているしね。

 

「物語」はもう色々出し尽くされていて、今からまったく新しいものを生み出すというのは不可能に近い。

「描写」は絶滅寸前で、描写のないものが人気ですし、村上春樹がインタビューで「描写を読み飛ばしてくれても構わない」みたいなことを言っていました。

となると作家が工夫するべきところは「語り」しか残っていなくて、実験的な作品をすくい上げる芥川賞に二人称小説が選ばれるのは至極真っ当だなと思いました。

<了>

 

※追伸

今作で芥川賞を獲った藤野可織さんは33歳。三島賞を獲った村田沙耶香さんも33歳。大江賞を獲った本谷有希子さんも当時33歳ということに気づきました。

『スタッキング可能』で三島賞候補になった松田青子さんもなんと79年生まれの33歳。なんなんだこの世代……。

爪と目

爪と目

心変わり (岩波文庫)

心変わり (岩波文庫)

*1:私は~・僕は~

*2:彼は~・潮見は~