無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

宮崎駿の『風立ちぬ』観てきたよレポートと感想。

 

冒頭

冒頭から「宮崎駿すげぇな」と思わせてくれるのは、冒頭数分間はセリフ無しで物語が進行するということ。(ポニョでも冒頭はセリフ無しでしたね)

セリフ無しで、「田舎に住む主人公の男の子は飛行機の操縦士になるのが夢だけど極度の近眼なのでその夢は諦めざるを得ない」という割と多い情報量を、“言葉”ではなく“映像の描写”だけで説明する。そこに違和感はないし、すんなりと物語に入りこめて、あぁ駿さんすごいなぁと僕なんかが観てもうっとりする。

 

 

物語 -宮崎駿の2つの理想-

物語は、二郎の飛行機開発に関するエピソードと、結核を病んだヒロイン・菜穂子との恋愛の二本柱で進みます。

その「仕事」と「女性」の二本柱のどちらにも共通して感じたことがあって、それは「これ宮崎駿の理想を描いているよね」という感想です。

 

「仕事」の側面では、共感しようがないくらいに二郎は超絶エリートで、ひたむきに夢を追いかける姿。それも宮崎が大好きな飛行機/戦闘機を作る仕事。

「女性」という意味では、菜穂子はちょっと理想的に描き過ぎていないかと心配になる。病弱で献身的な女性的姿勢が駿の(男性の)理想像すぎて、僕はちょっと気持ち悪かったです。嫌いでは全然ないけど。

黒川家で見せる菜穂子の晴れ着姿には、ちょっと他のジブリの女性キャラにはない妖艶さが醸し出されていて言葉にならないです。

映画を通して泣きそうになったポイントはすべて菜穂子絡みでした。特に菜穂子が結核を治すため山奥の病院へ入院し、茶色いモーフに包まって他の患者を並べられているところに粉雪が降ってくるシーンの心細さにはグっときました。

※ちなみにジブリはこれまでキスシーンをまったく描いてこなくて、ハウルとポニョのエンディングでようやく描いたって感じだったのですが、『風立ちぬ』ではやたらとちゅっちゅしています。

 

 

無理だよそんなの…見た事も聴いたことも無いのにできるわけないよ!

庵野監督が主人公二郎の声優を務めることに関しては公開前から賛否両論でしたが、僕は割とすんなり入り込めました。

第一声、電車で座席を譲る声がとても綺麗で力が入っていなくて、それが良かった。

あれですね、トトロのサツキ/メイのお父さん(糸井重里)の声に似た棒読み。良い棒読み。

 

 

夢の世界とその終わり

人の創作期間は10年だ!と語るカプローニ。二郎にとっての創作期間が終わり、彼の作った零戦は空を飛んだが一機も帰ってこなかった*1。死んだ大量の飛行機が天の川のように並び、空に逝くシーンは『紅の豚』のそれとまったく同じですね。

そして夢の世界で菜穂子に会い、泣きながらさよならを告げる。

この記事の前半で「宮崎駿の2つの理想」と書いたけれど、その両方が終わった/死んでしまった/失ってしまった二郎は、この先どうやって生きていくのだろう。

映画のキャッチコピーは「生きねば。」。

戦争が終わり、菜穂子は死んだ。それでも風は立っていますか。

 

<了>

 

 

美しく死ぬよりも美しい生き方を。

ラストシーンの第二案《追記:20013年8月25日》

今月初旬に鈴木敏夫さんのインタビュー集『風に吹かれて』が発売されました。その本の中で、宮崎駿が当初考えていた『風立ちぬ』のラストは、映画のラストとは異なっていたことについて書いてあります。

映画では菜穂子が二郎に『生きて』と言いますが、当初はそこが『来て』というセリフだったそうです。

詳しくはこちらのブログで。→ 『風立ちぬ』で宮崎駿が考えた、もうひとつのエンディング - ねとぽよエージェント @comajojo 

 

あぁ、これは超面白い。

「一緒に死のう」から「生きて」へ。真逆の結末ですね。

映画鑑賞後に僕が覚えた違和感は、上述したように【二郎はこの先どうやって生きていくのだろう】ということだったので、『来て』のラストのほうがもちろんしっくりきます。

元々宮崎駿は「愛する人と一緒にいられるのならそこがあの世でも構わない」というラストを『崖の上のポニョ』で描いていますよね。つまり『来て』のラストと『ポニョ』のラストは同質のもので、とても宮崎駿らしいラストだと言える。

 

けれど『生きて』に変更された。

いつ変更されたのかは分かりませんが、僕はやっぱりこの変更は《3.11が宮崎駿の心情に変化をもたらした結果》なのかなぁと思います。

『ポニョ』で示したような駿さんの哲学/考え方を曲げてでも、物語に違和感を残す結末であっても、生きることを肯定しなくちゃいけない。と考えたんじゃないかと。

なんだかんだ言って、国民的なアニメーション作家になってしまったことに対する責任感を持ってる方なんじゃないかと思いました。

しかし観終わったあとに違和感を感じる人がたくさんいるということは、《美しく死ぬよりも美しい生き方》を『風立ちぬ』を通して示すことはできなかったということだと思うので、あぁもう、次回作が楽しみです。まだまだ死ねませんね、駿さん。

 

ホントに《了》

風に吹かれて

風に吹かれて

風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

*1:ベルリーニ!ジーナをどうする気だ!