無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

『明日、ママがいない』感想 ~ポストの生存戦略~

 

1月15日から日本テレビで連続ドラマ『明日、ママがいない』が始まりました。

児童養護施設を舞台に、様々な事情で親と離れた子どもたちの“生存戦略”。

 

主演は鈴木梨央さん(左)と芦田愛菜さん(右)

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放送終了後からGyao!で一週間限定で最新話が無料配信されているらしいので、具体的な内容はどうかそちらで観てください。

 『明日、ママがいない』第一話 - Gyao!

 

 

子どもを演じる女優・芦田愛菜

あまりにも年齢離れした演技力がむしろ笑えてくる上に、お笑い芸人にモノマネされるようにもなり、ますます扱い方が難しくなってきた女優・芦田愛菜ですが、このドラマの脚本はその芦田愛菜のイメージをむしろ逆手にとっています。

泣くにしても笑うにしても、「子どもを演じてる感」が拭えない芦田愛菜の演技。それならそれをキャラにしてしまえばいい。

芦田愛菜演じるポスト*1は、大人に好かれるような可愛げのある子どもを演じます。嘘泣きをさせたり、里親候補のお金持ち両親の前で猫を被ります。

とてもややこしい書き方になりますが、「リアルな嘘っぽさ」が出せる子役なんて、きっと芦田愛菜しかいません。

 

 

君の名はポスト

作中でのネット用語の使われ方などを書こうと思っていたのですが、大幅に内容を変更して、今話題になっている「あだ名・ポスト」についての意見を述べます。

 

<明日、ママがいない>ドラマは「差別に満ちた内容だ」抗議(毎日新聞) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140116-00000062-mai-soci

 日本テレビのホームページなどによると、児童養護施設で暮らす子供たちを巡るドラマで、主演の芦田愛菜さんが演じる少女は「赤ちゃんポスト」に預けられた設定で「ポスト」のあだ名で呼ばれる。

 

 第1話では、施設長(三上博史さん)が子供たちに「おまえたちはペットショップの犬と同じ」と言い放ち、里親に引き取ってもらえるよう「かわいげ」を身につけるよう教え込み、上手に泣けるまで食事を与えられないなどの場面もあった。

 

 蓮田理事長らは「子供たちやスタッフを悪者に仕立て、ひどく傷つけている」としている。

 

 慈恵病院の抗議について日本テレビは16日、ドラマの趣旨について「子供たちの心根の純粋さや強さ、たくましさを全面に表し、子供たちの視点から『愛情とは何か』ということを描いた」とコメント。「子供たちを愛する方々の思いも真摯(しんし)に描いていきたい」としている。

 

僕は「ポスト」というあだ名が差別的だとは思いませんが、実際に赤ちゃんポスト出身の人間が聞いてあまりいい気分ではないことくらいは想像がつきます。

もし自分が小学生で、赤ちゃんポスト出身のクラスメイトがいたら絶対「ポスト」ってあだ名をつけて面白がるだろうなぁと思います。本当は「赤ちゃんポスト出身である」ということを繊細な傷にせず、むしろ自分のアイデンティティ(≒あだ名にしてしまうくらいの身軽さ)にするほうがかっこいいと思いますが、その姿勢を本人に要求できるほど馬鹿でもありません。(他人事だからそういうことが言えるんだと思います本当に。)なので、病院側の抗議が正しいのか否か判断できません。

 

じゃあこれからどうすればいいのか。

僕は、ドラマを通して「病院の抗議に対する答え」を示せばいいと思います。

ポストというあだ名、つまり自分の特殊すぎる出生とどう立ち向かっていくか、どのように戦っていけばいいのか。赤ちゃんポスト出身の子どもたちに生き抜くための武器を配ればいい。そういう力がフィクションにはあると思うのです。

今回抗議を入れた慈恵病院に赤ちゃんポストが設置されたのは2006年。つまりそこに届けられた子供たちの中で一番年長の子は小学生だろうと推測できる。固定化された教室の中で、一度定着したあだ名はなかなか上書きできない。

それなら、そのあだ名の意味を改変していけばいい。肯定的な意味へ、ポジティブな方向へ、ドラマを通して、芦田愛菜を通して、書き換えてゆけばいい。

その戦い方を、やり方を、生き方を、示しておくれ。

 

<了>

明日、ママがいない オリジナルサウンドトラック

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誰か私を

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*1:ポストという役名です。本名は未公開。