無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

だれのりりっくもぼうよみの世の中で

 

多くのクリエイターや批評家に絶賛されているコレ、どう見ても業界に推されているコレを、自分なんかがネガティブな感想を吐いたりしたら「コレの良さが分からないなんてお前は見る目がない」なんて思われてしまうのではないかしら。(とか。)

まだ皆が皆知ってわけではない今のうちに「コレすごいよマジで天才、大きな才能だよ」と熱く語っておけば、まわりの人が自分のことを“新しいものをよく知ってる人”、“センスの良い人”だと少しは思ってくれるのではないかしら。(とか。)

 

「どんなふうに思われたいか」によって、時折僕たちは自分の感情に嘘を吐く。

好きではないものを好きだと公言したり、かと思えば本当に好きなものを遠ざけようともする。いつまでも子どもだと思われたくなくて、レゴブロックで遊ぶのをやめた10歳の頃の自分の感情を僕は憶えている。それに似た経験が、あなたにもあったりしませんか。

 

「どんなふうに思われたいか」を基準に選択したものは、たとえそれがハイクオリティなものであったとしても、自分の気持ちはどこか冷めていて、きっと心からは愛せていない。

嫌いなわけではないし憎いわけでもない。

冷静に判断できないのだ。

 

誰かおしえてくれ。

ぼくのりりっくのぼうよみは、本当に僕の心を揺さぶったのか。

彼には才能がある、いい音楽だと、君は本当に思ったのか。

Web記事やSNSでの評判を見て「コレは絶賛しておくのが正解っぽいな」と判断した瞬間が君にはなかったか? 少なくとも僕にはあった。

 

マーケティング用語で言うところの“アーリーアダプター*1のフリをしたい凡人たちの見栄が響き合い、いつの間にか何かを過大評価されてしまうことがある。時折市場に発生するこの癖の強い潮流にのって、彼はどこまで飛んでいくのだろう。

 

言いたいことはそれだけだ。

ぼくのりりっくのぼうよみ本人と彼の音楽に対してはネガティブな印象を抱いてはいない。毎朝電車の中で聴いている、とてもかっこいいと思う。

コレを冷静に判断するだけの曇りなき眼を自分はもう持っていないことが、ただただ悲しい。

いつしか物を見ている自分を見るようになった

人からどう見えてんのか それだけ気にしてる

なんて素晴らしい人生だろう

『sub/objective』 - ぼくのりりっくのぼうよみ

 <了>

hollow world

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MUSICA(ムジカ) 2016年 02 月号 [雑誌]

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*1:流行に敏感で、情報収集を自ら行い、判断する人。他の消費層への影響力が大きく、オピニオンリーダーとも呼ばれる人達のことだそうです。