無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

さよならBUMP OF CHICKEN - PATHFINDER

PATHFINDER

BUMP OF CHICKENのライブツアー「BUMP OF CHICKEN TOUR 2017-2018 PATHFINDER」の大阪公演へ行ってきた。

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ずいぶん昔に「BUMP OF CHICKENは好き過ぎて書けない」なんて書いたことがあったけど、まぁライブもあってちょうどいい機会だし、ちゃんと言葉にして残しておこうと思ったので、今回はライブレポートというよりは個人的なBUMP OF CHICKENに対する思いについて書きたいと思う。

知ってる人は知ってると思うけど、結成20年を超えた彼らは、数年前から活動姿勢をガラッと変え始めた。楽曲にEDMサウンドを取り入れ、MステやNHK紅白歌合戦などの地上波TVへの出演ーー『ロストマン』の作詞に9ヶ月かけていた頃が嘘のように、近年は新曲がぽこぽこと立て続けに生まれ、そのいくつかはサムスングランブルファンタジーなどのCMタイアップ曲となった。

バンドの方向性の急な舵切りに対して賛否両論がある中でも、彼らの芯が決してブレていないことだけはちゃんとファンのあいだでは周知されていた。

 

そして僕にとってのBUMP OF CHICKENも、神様のような存在であり続けた。10代半ばに出会って惹かれたものは、自分の価値観を形成する上で大きな要因になりがちで、そりゃ僕だってそうで、その中でも最も大きなウエイトを占めているのがBUMP OF CHICKENの存在だった。

「かっこいいとはこういうことさ」と、彼らが示す価値観に、10代だった頃の僕は完全に盲信していたし、今でもそれは間違いなく正しい道を照らしていたと確信している。

ずっとイヤホンの中で鳴っているだけで十分だったのだけど、一度くらいは神様の存在を見ておこうと思い、十数年越しの片思いを抜けて、今回初めて神様に会いにいった。

もっとエモーショナルな表現をすれば、僕は15歳の自分を引き連れてBUMP OF CHICKENのライブ会場に向かっていた。不登校になって高校を辞めてしまって何もかもに無気力になってしまった君が、それでも唯一信じた神様は、現実にこうして存在しているし、これからも同じ時代を生きていくのだと、そう教えてあげたかった。

こういうクサいライブレポートを書いてしまうことのかっこ悪さはよく知っているけど、それでも書くのだ。そんなもの、気にしたら負けだ。

2017.10.31 大阪府 大阪城ホール 

00. PATHFINDERのテーマ
01. GO
02. 天体観測
03. ray
04. トーチ
05. メロディフラッグ
06. 記念撮影
07. pinkie
08. 友達の唄
09. 三ツ星カルテット
10. You were here
11. アンサー
12. ラフ・メイカー
13. アリア
14. Butterfly
15. fire sign
16. リボン

en.01 K
en.02 ダイヤモンド

 

answer

今回のライブに行く主な目的のひとつは、『アンサー』を聴くことだった。数年前から藤原基央が歌詞を書きあぐねているような印象を受けていたのだけど、そこから徐々に復活してゆき、導き出したひとつの答えが『アンサー』だと思ったからだ。

 

たびたび「宇宙」に思いを馳せる藤原基央は、よく「過去」へも潜っていく。 「宇宙」も「過去」も、どちらも手の届かない代物なので、彼は偽物の宇宙を部屋に敷き詰めたり、本当に欲しいのは過去ではなくて今なんだと気付いたりする。

彼の歌う「過去」には、常にネガティブな記憶がこべりついていて、自分の手に残った傷跡や、胸に沈んだ重みなど、「消えない悲しみがあること」に今生き続ける意味を見い出しがちだった。

そして近年の彼は、忘れてしまった痛みとか、光らなくなった靴のこととか、いつからか“負の感情の喪失”、つまり「あんまり泣かなくなったこと」を強調して歌うようになった。

あんまり泣かなくなったけど、それでも忘れたってあの痛みは消えやしないのだと言い聞かし、君が作った星空は忘れられてもずっと光るのだと言い聞かせてきた。

そんな藤原基央が、これまでとはまったく異なる場所に、生きる意味の拠り所を見い出した。そのひとつの“アンサー”がここある。

心臓が動いてることの
吸って吐いてが続くことの
心がずっと 熱いことの
確かな理由を

 

雲の向こうの 銀河のように
どっかで 無くした 切符のように
生まれる前の 歴史のように
君が持っているから

 

それだけ 分かってる
僕だけ 分かってる

 

“生きることの意味を、自分じゃない誰かが、自分の見えないところで持ってくれている。”

それが分かった彼は、もう迷わないそうだ。

いや、どうせすぐ迷子になるくせに(笑)と内心思いながらも、もう迷わないもう迷わないーーと繰り返し歌う彼の姿を見つめながら、僕はとても幸せだった。

 

* * *

 

不思議な感覚だった。通学あるいは通勤*1の中でBUMP OF CHICKENを聴きすぎた僕の耳には、『天体観測』も『ray』も、ライブという非日常の中で聴く音楽ではなく、日常の中で流れる音楽だった。

それを歌う本人たちが目の前にいること、「ここにいる感」が極めて薄かった。ライブ直後は、藤原基央って実在してたんだ…!と思ったけど、酔いから覚めた今となっては、本当に存在していたのか怪しい。4人とも全然年取らないし。やっぱり神話の中の人だったのか……。

いや、まぁ、でも、そんなわけもなく、藤原基央は今日もギターを弾いたり、お風呂に入ったり、傘をさしたり、トマトを食べたりしているんだと思う。

たぶん、僕もだいたい同じようなことをしながら生活を営んでいく。本を読んだり、扇風機を回したり、iTunesBUMP OF CHICKENの新曲をダウンロードしたりしていくんだと思う。

藤原基央増川弘明直井由文升秀夫も、そして自分も、日付は違えど、一年に一度ちゃんと年を重ねて生きている。近づいたり遠のいたりもしたけれど、ぼくはずっとBUMP OF CHICKENの周回軌道上にいて、10年以上かけてようやく一周したように思える。

 

15歳の自分は、BUMP OF CHICKENを観てどう思っただろうか。

悲しいことを忘れることはないし、傷が消えることもないけど、胸の中でもやもやしていた何かひとつを、ようやくちゃんと結晶化できたように思う。ケリがついた、という感じか。

 

さよならBUMP OF CHICKEN

信じたままで、会えないままで、どんどん僕は大人になったけど、それでもずっとあなたは神様で、ずっと友達のように隣にいてくれたね。

<了>

BUMP OF CHICKEN I [1999-2004]

BUMP OF CHICKEN I [1999-2004]

 
BUMP OF CHICKEN II [2005-2010]

BUMP OF CHICKEN II [2005-2010]

 

*1:あるいは目的地を持たない小さな旅路の中で。