無印都市の子ども

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それでも『ミライの未来』を観にいくべきたった1つの理由

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細田守監督作品『未来のミライ』を観てきた。
映画の内容について言いたいことはたくさんあるけど、まずは映画の外側を巡る言葉について、前置きしておきたいと思う。映画内容についてはまた別の記事に書きたい。


上映前の予告にエヴァンゲリオンの特報が流れたことで、公開日のTLはそちらの話題に大きく傾いたが、数日が経ってようやく本編の評価も徐々に耳に入ってきた。
評判は、はっきり言って、あまりよくない。Twitterの検索窓に「未来のミライ」と打ち込むと、サジェストに「微妙」「駄作」と表示される始末。観た人がそれぞれ思うことがあるのは結構だし、ネガティブな内容であっても言葉にしておくのはよいことだと個人的には思う。
しかし、あまりに過激な文句が多く見受けられ、「独身者は得るものは無いので見なくていい」とまで言い切るツイートが4000RT以上されている。Twitterというプラットホームの性質上、強い口調や断定的な言い方をしたほうがツイートは跳ねやすく、そのことを意識した文体を使用する人は多い。そんな言葉を文面通りにそのまま真に受けてしまう人も多いだろう。あぁ自分は観なくていいっぽいななんて、思ってしまうかもしれない。だがちょっと待ってほしい。


普通に考えたらわかることだと思うけど、細田守映画が観客を「独身者とそれ以外」で切り分けられるほど単純なものであるはずがない。
大事なことなのでもう一度言う。細田守映画が観客を「独身者とそれ以外」で切り分けられるほど単純なものであるはずがない。

もしくはあれか。子育ての映画は子育てした人にしか刺さらなくて、恋愛映画は恋愛している人にしか刺さらない、とでも言うのか。
映画が持っている「想像力」って、そんな貧しいものでしたっけ?


たまたま目にしただけの、貧しい想像力で語られた言葉によって、まだ観ていない映画を判断していいのだろうか。

何千何万とRTされている言葉は、それらしく聞こえがちだけど、その数字自体は何の信頼性も担保しない。

大切なのは、自分の目で見ることであり、自分が信頼する人の言葉を信用すること。

RT数や観客動員数ではない部分に、自分なりの評価軸を持つことだ。知らない誰かの言葉に惑わされないように。自分のアンテナで判断できるように。

 

ぼくの書いた記事がそれほど力を持ってないことなんて、ぼくがいちばんよく知っている。

だけど、もしこの記事を読んで、スルーする気でいた『未来のミライ』に少しでも興味が湧いてきたのなら、それはあなたが『未来のミライ』を観に行くべきたった1つの理由になる。

<了>

未来のミライ (角川文庫)

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