無印都市の子ども

ポップカルチャーの極北

午前3時の熱く炊けたおにぎりから

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家族が寝静まった真夜中に、静かに階段を降りてリビングに向かう。明かりもつけないまま、大きな冷蔵庫ーーパナソニック社製であるーーを開き、やさしい光の中からラップで包んだ昨日のおにぎりを取り出す。おにぎりは電気レンジの中で橙色の明かりに照らされながら、炊飯器で炊かれたときのことを大切に思い出すようにゆっくりと廻る。「電気レンジは輪廻だ」とか思ってしまうくらいに、その頃の自分は思春期特有のこじらせ方をしていて、そして今でも冷蔵庫はタイムトラベラーだと思っている節がある。

 

10代の頃、学校にも行かず、ただ死んだように生きていた時期があって、当然のように昼夜逆転した生活を送っていた。いや、生活とも呼べないような堕落したものだった。夜明けとともに眠ったり、夕焼けで橙色になった部屋の中で目覚めたりしていた。そんな生活リズムで過ごしていると、家族と暮しているのに家族といっしょに食事をとる機会はどんどん減っていく。当時の自分は今よりずっと馬鹿だったので、そのことに対して何かを危惧する気持ちは1mmも芽生えていなかった。

幸か不幸か、食べても太らない体質だった。真夜中にひとり自室で、当時好きだった若手女優のCM集なんかをYouTubeで観ながら、大量のスナック菓子をぼりぼりと食べてしまう生活習慣がついてしまっていた。甘いお菓子が好きだった。今でも好きだ。だけど、それだけで健康を維持することはできない。満たされない腹を膨らませたくて、真夜中の冷蔵庫をゆっくり開いたところに、おにぎりはあった。

それは母が作った昨日の夕飯の残りで、食べてもいいと母は言っていたが、その言葉をぼくは軽く聞き流してずっとお菓子ばかりに手を伸ばしていた。大量のポテトチップスとチョコレートとコーラによって舌が馬鹿になっていたぼくは、冷凍されたお米の姿にあまり食欲が湧かなくて冷蔵庫に戻そうとしたが、そういえばおいしそうな味付け海苔があったんだと思い出して、それでおにぎりを食べることにした。

橙色の輪廻転生。前世の情熱を思い出したかのようにホクホクになってゆく白米たち。あ、やばい美味そうかも、と思いながら塩を振り、味付け海苔で巻いてゆく。冷たい麦茶を用意して、自室でYoutubeを再生しながらおにぎりを頬張った。

おいしい。ただただシンプルにおいしかった。そこには食べものとしての確かな実感があった。なるほど、これがエネルギーになるのか。ビバ炭水化物。ああ、パズーが一切れのパンで旅立つなら、ぼくは一握りのお米を抱えて旅に出よう。桃太郎がきびだんごで仲間を引き連れていくのなら、ぼくはおにぎりで世界を救おう。ちょっと意味のわからない妄想が広がる。

引きこもり期間が長いゆえ、心がずいぶんと凝り固まっていたので、涙が出たりとかはなかった。でも、確かに何かが動いたような気がしたことを、なんとなくだけど憶えている。そのことに自分自身で気づきながら、気づかないふりをして、極めてニュートラルな表情でYoutubeの次の動画をクリックする。散らかった自室のすみっこで、エンドレスに続く宮崎あおいのCM集を眺めながら、それでもなんとなく生きていけるような気がしていた。

 

 

まだ遠い夜明けに向かって、誰もいない暗闇の台所でひとり、昨日のおにぎりを握る。そのシチュエーションはあまりにも絵にならないし、こんなところに書くのは恥ずかしいくらいみっともない生活であったかもしれない。炊き立てのお米を頬張るあたたかな家族団欒とは真逆の、間違ってもCMにはならないような日陰のシーン。だけど、そういう夜は、この世の中のどこかに今も確かに存在している。真っ暗だから多くの人は知らないだけかもしれない。そういうぎりぎりのところに生きている人はたぶんこの国には結構いて、何かを取り戻すようにおにぎりを電子レンジに放り込んだり、誰かを弔うように冷たいごはんをひとりぼっちで食べたりしている。

 

「夜明け前がいちばん暗い」なんてのは、夜明け前しか知らない奴らによる幻想的な嘘でしかなくて、夜はずっと暗いものであるとぼくはこっそりと告発しよう。

終わりがないように思える暗闇は、いいことはあまりないけど、しかし悪いことばかりでもない。たとえば「真夜中のお米がいちばん輝いている」なんてのは、ぼくたちだけが知っているちょっとした世界の神秘。それはちょうど、冬の大都会の夜景が美しいことと、ほとんど同じ類いの輝きなのだと思う。

<了>

 

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