無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

NHK朝ドラ『あまちゃん』感想 ~宮藤官九郎と(‘ jjj ’)/といずれ来たる震災~

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4月1日からNHK連続テレビ小説『あまちゃん』が始まりました。

東北・北三陸の小さな田舎町が舞台。そこで「海女さん」を目指す女の子の成長物語です。

 

第一週(1~6回)が終わったところで、ようやく主人公のアキ(能年玲奈)が海女さんの格好になりました。つまり、物語はまだ始まったばかりなので、特に言及することはない(というか出来ない)のですが、とりあえず能年玲奈さんは超かわいい。

前回の『純と愛』が“アンチ・朝ドラ”的な展開だったのに対して、『あまちゃん』は王道的な内容ですが、おそらく生ぬるいものにはならないと思います。

 

 

じぇじぇじぇ(‘ jjj ’)/

脚本は宮藤官九郎です。

僕は彼の作品/作風があまり好きではないのですが、「じぇ!じぇ!じぇ!」などの“仕掛け”の作り方ははやり上手いなぁと思いました。 

(※「じぇ!」というのは、北三陸の人が驚いた時に口にする言葉です。ドラマの中でも、主人公アキや海女さん達が度々口にします。第一話で絵文字で登場しました。これ→(‘ jjj ’)/ )

絵文字を用意していることや、それを第一話で登場させていることを考えると、TwitterなどのSNSで視聴者たちに盛り上がってもらう事を前提に作っている“仕掛け”ですね。うまい。

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アイドル

物語の後半『東京編』では、アキは地元アイドルとなりGMT47というグループを組む展開になるそうです。ちなみに「GMT」は地元の略。

今いろいろと論議を醸している「女性アイドル」を宮藤官九郎がどのように描くのか。

また、朝ドラの主題である「女性の自己実現」と「地方の町おこし」的な物語を両立させようとする内容になりそうなので純粋に楽しみです。

 

 

いずれ来たる震災

あまちゃん』は物語の中盤で東日本大震災を描くそうです。

正直言って、ドラマや小説などの「フィクション」と「震災」の適切な距離感が僕には未だに分かりません。

震災から2年経った今、朝ドラという今日本で一番大衆的な場所で宮藤官九郎がどのように震災を描くのか。それが最も気になるところであり、それが観たくて『あまちゃん』を観ていると言っても過言ではありません。(嘘です。能年玲奈が可愛いから観てます。)

きっと震災を無視して描く(つまり震災前を描く)ほうが楽だろうし、あるいは完全に震災後だけを描くほうが簡単だし分かり易いだろうと思います。だからこそ、震災前と震災と震災後を描くことを選択した宮藤官九郎の勇気はすごいと僕は思います。まだ具体的な内容は分からないけど、そう決断した宮藤官九郎はすごい。そう評価しちゃっていいと思います。

 

宮藤官九郎はインタビューの中で<震災前はこう、後はこうと分けることは無意味だと思う>と述べています。僕も震災前後で分けて考えることは好きではないのですが、そこには絶対に「変化」があったわけです。それを今フィクションで表現する意味ってなんなんだろうかという疑問に対する答えを『あまちゃん』と通して見つけることができれば……なんて個人的には思っています。

 

 

おまけ(感想)

能年玲奈さん超かわいい。能年玲奈さんほんと超かわいい。

橋本愛さんもやばいです。ぜひ英語を習得して国際的な女優になってほしい。えきぞじっく・じゃぱん。『桐島、部活辞めるってよ』にヒロキ役で出演していた東出昌大さんも出演していて、注目の若手俳優勢ぞろいって感じですね。

小泉今日子さんの赤いロングスカートや蛍光色のシャツはきっと「東京から来ました感」を出そうとしているのだろうけど、一周して田舎臭い気がするのは僕だけでしょうか。

 

というわけで、まだ第一週(1~6回)が終わったところなので「観てないよ」という人もまだまだ間に合います。

個人的には、ここ数年、ドラマはすごく面白くなってきているような気がします(逆に深夜アニメを全然観てないなぁと今気付きました)。「アニメは幼稚」だとか「ドラマはオワコン」だとか言うのはホント無意味で、視野を狭めるだけだと思うのです。ドラマにしろアニメにしろ小説にしろ、時代と真摯に向かい合う作品が僕は好きです。

 

 

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