無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

浅野いにお著『デデデデ』感想 ~侵略者とか日常とか3.11とか使徒とか使徒じゃないとか~

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション

 『おやすみプンプン』以来の浅野いにおの新作『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』が出たので、感想と軽い考察を書きたいと思います。

簡単に物語を説明すると、「侵略者」なる謎の円盤が空に浮かんでいる東京の街を生きる少女たちのお話です。

 

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夏休みの終わりに

突如、謎の飛行物体「侵略者」が東京の空に現れ、街を混乱させ大きな死傷者を出したその日を「8.31」と呼び、物語はその日から約3年後の東京を舞台にしています。

そんな作中の「8.31」という悲劇体験は、明らかに現実世界で実際に起きた3.11の体験とイメージを被せています。

“いつまた暴れ出すか分からない円盤が空に浮いている”という世界の環境は普通に考えて非常事態/非日常的なことですよね。にも関わらず、主人公たちはそれを当たり前のこととして受け入れて日常生活を謳歌している。まだまだ対侵略者用の兵器のニュースが流れてはいるけれど、その次のニュースは関東地方の紅葉のニュース。高校生たちは2ちゃんまとめ記事で笑い、未婚成人男性はxvideoを観て過ごしている。これはかなり異常な状況だと思うのです。

 

さて、僕らはどうか。

自分の国にメルトダウンした原子力発電所が在り、今も汚染水をたれ流し、放射能が空気を汚し続けている。でも、あれから3年、たった3年経っただけで、僕らにはそれが当たり前になった。放射線濃度のニュースが流れたかと思えば、日本エレキテル連合の是非について語り、新しいマンガの発売日を楽しみにしているこの日常。

制御不能の原子力発電所共存していることを当たり前のこととして受け入れて生きている僕たちの生活は、門出やおんたんたちの日常に対して感じる異常さと、ほぼ同レベルの異常さだと思うのです。

 

 

デデデデの「侵略者」と、エヴァの「使徒」は全く異なるもの

例えば原爆と原発事故、この2つはどちらも原子力によってもたらされた暴力ですが、決定的に異なる点があるのです。それは、「世界の外側からやってきた暴力」なのか「世界の内側から溢れ出た暴力」なのか、という点です。

つまり、日本という国の外側(未知の言語を話す未知の世界、つまりアメリカ)から突然放り込まれた暴力が「原爆」。

日本という国が内包していたもの、内側の世界から溢れ出た暴力が「原発事故」だ。外から危害を加えられて起きた事故ではない。

 

エヴァンゲリオンに登場する使徒は、未知の世界からやってくる暴力。

ではデデデデの侵略者はどうか。明らかに世界の外側(未知の言語を話す未知の世界)から突然放り込まれた暴力として描いている。

しかし上述したように、浅野いにおは8.31と3.11を完全に被らせて描いている。

3.11が世界の内側から溢れ出た暴力であるなら、侵略者もまた世界の内側からの暴力として描かれなければいけないと僕は思うのです。

つまり、侵略者は使徒ではない。

使徒であってはいけないというのが僕の希望です。

 

 

おまけ ~これからのこと~

かつて8.31に撒き込まれて死んだアイドル、否、表現者である大葉圭太が第1巻のラストに登場します。

彼は意味不明な言葉を吐きますが、元“内側の世界の人間”であるので、「侵略者は世界の内側からの暴力である」という僕の希望が叶いそうな感じもします。

 

そしてP.37の門出曰く、いつかこの日常が終わってしまうらしいのです。

宇宙戦争になるのかどうなのか知らないけれど、一つ予想できるのは、いずれ再びデーモンと呼ばれてしまうであろう門出が世界を敵に回してしまうという展開だと思うのです。そしてタイトルはデーモンズ。門出が社会をやんわり否定した後に「絶対」と表現した相人間が中川凰蘭。門出とおんたんが世界を敵に回して…、あれ、もしかしてこれセカイ系なんじゃないですか。

 

あ、あと、門出が先生に借りた本はこれです。

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

 

 内容を要約すると、今の若者は今の生活に「満足している」と回答する人間が戦後で最も多く、それは「これ以上社会は良くならない」という絶望ゆえに、今を肯定するしかなく、今を否定すれば人生を否定することになるからではないかーという本です。

とても面白い本なので、おすすめ。

<了>