無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

tofubeatsと藤岡みなみのシティポップに表れる「現実の都市」と「架空の都市」

東京行ってきたよ

東京に来たのは、震災の年の初夏以来なので3年ぶりです。
あの時は節電であらゆる駅の照明が所々落ちていたのに対して、今回の東京旅行はどこ行っても割と華やいでいる印象で、改装が完了した東京駅の夜は特にきらめいて見えました。

そこで気づいたのは、ここ数年流行りつつあるシティポップという音楽。そこで歌われる「都市」は東京のことではないというお話です。

 

藤岡みなみ

熱風が吹き荒れる地下鉄のプラットホームで、イヤホンを耳に差す際に指がiPodの液晶に触れ、意図せず流れ込んできた音楽が『中華街ウキウキ通り』でした。

多くの文化がそうであるように、90年代的なものが流行しつつある今のJPOPの中で、「ほんの少し早すぎた秀才」として僕が勝手に評価してるPANDA1/2が2010年にリリースした代表曲のひとつです。

とても華やかな都会と恋に踊るこの曲は、所謂シティポップというぼんやりとしたジャンルにバッチリ位置すると思います。
歌うのは藤岡みなみさん。可愛さ120点のラブリーガールです。

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tofubeats

もう一人紹介します。
もっと輝くとこへ君を連れて行くよと歌うtofubeats

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その『水星』という曲がiTunesでリリースされる際、とある音楽批評家が説いたシティポップの定義が僕は大好きなので、引用します。

《シティポップとは、現実の都市に居ながら、架空の都市を夢見る音楽である》


ここ数年僕は都会的で滑らかで快適な音楽が好きで、その音楽をシティポップという言葉で表現するのは違和感しかなかったのですが、この定義にはしっくり来ました。

 

かつて80年代に歌われたシティポップの場合、そこで歌われた都市は「東京」のことを差します。その定義に登場する「現実の都市」は多くの人の場合「現実の東京」のことを差し、「架空の都市」は「地方出身者が夢見る東京」を差す。

 

 

2010年代のシティポップにおける都市はどこにあるのか

しかし、今のシティポップを歌う地方出身者、北海道出身藤岡みなみ兵庫県出身tofubeatsが歌う都市は、「架空の東京」ではありません。

架空の東京はもうどこにも無く、東京に出て現実を見た地方出身者は、次の架空の都市を夢見て歌う
藤岡みなみは「上海」を、tofubeatsは「水星」を夢見ている。

もっと厳密に言うと、藤岡みなみは「架空の上海」、tofubeatsは「架空の水星都市」を歌っているのです。

かつて80年代に流行したシティポップとは、夢見るものが異なるのです。


蛇足だけど、東京オリンピックを成功させるには、いかに外国人に対して「架空都市・東京」を演出できるかに掛かっていると僕は思います。

 

 

いまは東京の夜を忘れて もうずっと踊り続けたい

では最後に、藤岡みなみがほぼ完ぺきに、現実の都市としての「東京」、架空の都市としての「上海」を表現している『上海は夜の6時』という曲で締めたいと思います。

と思ったのですが、YouTubeにはこの曲の30秒スポットしかないので、歌詞を書こうと思います。

 

 

待ち焦がれた虹色の夏 僕らそっとEscape

走り抜けた夢色の風 飛び立つの Fly Away

いまはそっと時間を遅らせ そうずっと目指すは上海!

 

イミグレーション、ニーハオで軽くpass!

リニアから眺める街角へkiss!

 

上海 僕らは急に恋に落ちてゆく

ちょっと 僕らは急にコトバにつまるはず

待って 今すぐココロ回し続けて

いつまでも聴かせてDJ!踊らせてDJ!

舞い降りる 鮮やかな恋の華

遥か遥か高く いくつもの夜に咲き いくつもの恋の色に染まる

 

いまは東京の夜を忘れて もうずっと踊り続けたい!

 

上海 僕らは急に恋に落ちてゆく

ちょっと 僕らは急にコトバにつまるはず

待って 今すぐココロ回し続けて

いつまでも聴かせてDJ!踊らせてDJ!

 

待ち焦がれた虹色の夏 僕らそっとEscape

走り抜けた夢色の風 飛び立つの Fly Away

 <了>

 

水星

水星

 

 

上海は夜の6時

上海は夜の6時

 

 

First Album(初回限定盤)

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