無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

書店員がAV女優・紗倉まなの小説処女作『最低。』の感想を書いたよ。

 

作家・紗倉まな

AV女優・紗倉まなさんをご存じでしょうか。

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このブログで紹介するのは2度目ですね。

明石家さんまが彼女の事が好きだとテレビで公言したり、TOYOTAの広告に起用されたり、自身の高専生時代や職業について綴った著書を出版したりと、セクシーなDVD以外のメディアにもひらけたAV女優さんです。

高い偏差値とAV女優らしからぬ高い文章力の持ち主であることはもともと有名で、文学っ子であることもファンの間で周知されていました。 

そんな才能あふれる彼女がついに小説処女作『最低。』を上梓。

最低。

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 ピース又吉直樹やチャットモンチー高橋久美子など「この人に小説書いてほしいなぁ」と僕が個人的に思っているタレントやクリエイターが次々と文芸作品を発表していく中で、続け続けと勝手に願っていた僕にとって<作家・紗倉まな>は待ちに待ったものでした。というわけで発売日前にフライングゲット

僕は大したレビューや書評が書けるわけではないので、単純に感想を書こうと思います。

ネタバレは書きませんが、これは良くないなぁと思った点は素直にそう書こうと思います。

 

 

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『最低。』は、AV業界に関わる人たちの物語。

ひとつの長編ではなく、4つの章からなる連続短篇集。各章のタイトルはそれぞれ女性の名前になっている。

ネタバレは書かないと宣言したけど、そもそもネタバレになるような“ネタ”はこの小説にはない。読者が思いもよらない犯人や、びっくりするようなどんでん返しがあるわけではない。彼女の本棚から推測して、こういうものが好きなのは分かっていた。そして僕も(少なくとも僕は)紗倉まなのこういうものが読みたかった。

『最低。』はジャンルとしては“純文学”に属する。

期待通りでとても嬉しい。

 

 

文章力や物語構成がプロ作家レベルか否かなんて僕には分からないけれど。

でも、いち純文学ファンとして、小説すばる新人賞文藝賞からデビューする新人作家たちのそれと比べてもほとんど劣らないと感じたし、個人的にはピース又吉直樹の『火花』よりも風景描写が巧く、明晰な文章だと思った。

芥川賞候補になっても驚くレベルじゃないと本気で思ってる。*1

 

好みでなかった点はいくつかある。比喩にしろ地の文にしろ唸るほどの上手い表現はなかったし、よしもとばなな川上弘美のような読点の打ち方は好きじゃ、ない。(←これ。)

一方で、J-PHONEで時代を表現するセンスはナイスだと思う。ニヤニヤしてしまった。紗倉まな、本当に1993年生まれなのだろうか。

 

 

小説の主人公≠著者

実は読む前は不安要素があった。それは、小説の題材がAV業界であること。

なぜフラットに読めないかと言うと、「主人公=著者」としか読めなくなってしまうからだ。タレントが書いた小説なら尚更、「これはご自身がモデルですか?」なんて言われがちだろう。

小説はもちろん著者本人の体験や考えが表現されたものではあるけれど、著者本人の物語ではない。特に純文学は、フィクションを通して、物語の流れを通して、何を残すかだ。言葉を遣って、言葉でないものを残す。

 

処女作がAV業界の話だと知って少し落胆した。

しかし読んでみるとどうだ。4つの章のタイトルになってる4人の女性、どれも紗倉まなのようには思えない。僕が思う『最低。』のすごいところはここだ。

一番大きなポイントはおそらくこの小説の“人称”にある。 

 

 

小説の人称、AVの視点

小説の書き方には大きく分けて2つある。一人称によって物語る方法と、三人称によって物語る方法だ。

一人称は「私は~」「僕は~」が主語となり物語が進む。メリットは主人公が分かりやすく読者が感情移入しやすいことだが、デメリットは主人公の目線/視点でしか語れないこと。

三人称は登場人物の名前、例えば「桃子は~」が主語となる。誰かの目線/視点ではなく、映画やドラマのようにカメラが存在すると想像してくれたらいい。

つまりこういうことである。

画像1(一人称小説)

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画像2(三人称小説)

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画像1は、目線である男性に感情移入?しやすいが、男優からの視点に限られる。

対して画像2は、男優に感情移入しづらいが、カメラの自由度が高いのであらゆる角度から紗倉まなを見ることができる。

 

小説の場合、新人賞に送られてくる素人作品の多くが一人称小説で、実際にデビューする新人作家の作品は一人称小説であることが多い。例えば又吉直樹の『火花』、村上春樹の『風の歌を聴け』、綿矢りさ『インストール』などなど。

しかし紗倉まなはデビュー作品で三人称を採用した。一人称で書かれたのは第二章“桃子”のみ。その人称も、男性である石村による「僕は~」だ。

「私は~」という語られ方だったら、きっと紗倉まなの話のように読んでしまっていただろうけど、四つの短編を通して女性が「私は~」で語ることがない。だからAV女優の話を書いているが、紗倉まなの話のようには読めない。

。三人称を採用したのは、とてもナイスだと思う。*2

 

 

最後に。

タイトルの『最低。』は、誰かに言われる「お前最低だな」ではなくて、自分で自分のことを蔑んだ言葉のように思える。

自分の一番痛いところを自分でエグれる作家はやっぱり面白い。紗倉まなはそれを描ける人なのだから、どうか次作はAV業界から遠く離れて書いてほしいです。

『火花』と比べても見劣りしない。『最低。』を読んでそう思いました。

<了>

 

<追記>

紗倉まなさんご本人がこの記事を読んでツイートしてくれましたー。

ありがたやー。

 

はてなさんからご指摘があり、画像1画像2の写真を差し替えました。(2016年2月28日)

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DVD>紗倉まな:生ぱら (<DVD>)

DVD>紗倉まな:生ぱら ()

 

 

*1:何年か前に舞城王太郎が短篇集で芥川賞候補になっていたので、有り得ない話ではないのだけれど、『最低。』って書きおろし作品なんですかね。調べても出てこなかった。雑誌『ダ・ヴィンチ』に連載されたものならギリギリ選考対象に入るはず。

*2:個人的には一人称小説のほうが好きなので、“あやこ”の章くらいは「私」で書いても良かったんじゃないかなーとか勝手なことを思ったり。計算なのか、勘がいいのか、いずれにせよやっぱりこの人は面白い。