僕には青春がなかった。自分がもっとも美しかった頃、輝いていた頃のことを「青春」と呼ぶのだとすれば。
10年前。15歳の時に高校中退して、それからずっと何年も暗闇の中にいた。生活と呼べる生活ではなく、常に昼夜逆転、ずっと何もせずに過ごしていた。そして過ぎ去った月日を想って泣く日もあった。
今ではその頃のことを「暗黒期(笑)」なんて呼んでいるけど、今振り返るとよく事件などの問題を起こさずに過ごせたなぁと思う。しかし同時に、どうしてそんな些細なことで何を悩んでいたのだろうかと考えたりもするけど、でも、大人になった自分には分からない切実な思いが15歳の僕には確かにあったのだ。
誰がなんと言おうと自分自身だけはその感情と衝動と決断を尊重してあげないといけないと、ずっと自分自身に言いきかせていた。自分だけが分かってやれる感情。自分だけの暗闇の中から這い出るには、自分だけの光を探さないといけない。
そう思っていた10年前、僕は学校にも行かずにふらふらしていた梅田の街でパンドラの匣を開く。紀伊國屋書店だった。
君はギリシャ神話のパンドラの匣という物語をご存じだろう。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪欲、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫が這い出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。
舞台は結核療養所。迫り来る死に怯えながらも、病気と闘い、明るく生きる15歳の少年ひばり。文章がすべて書簡形式で描かれており、主人公の意志や思想が力強く表明される。
例えばJ-POPの歌詞や小説の物語に「共感」を求める人が多いのは、それによって救済されたいからじゃないだろうか。
「自分だけが背負っている」と思い込んでいた不幸や苦悩が「どうやら自分だけに降り掛かったものではない」と知ったとき、涙が出るほど救われた気持ちになるのはどうしてだろう。
ひばり、と呼びかける。僕はその哀しみを知っている。この悔しさや苦しみをあなたも知っている。そんなことで救われるとは、正直に言って思わなかった。
小説やその中の登場人物はもちろん架空だけど、少なくとも作者である太宰治はこの苦悩を知っている。この小説を大切に思う他の読者たちも、きっと似た苦悩を経てこの小説と向き合ったのだろう。そう想像する、たったそれだけで卑屈な気持ちが解けてゆく。
物語は来たる新しい時代に向かってとても前向きな言葉で終始する。『人間失格』が代表作の太宰はどうしても暗い印象の作家になっているが、実際は明るく剽軽な作品も多く遺し、この『パンドラの匣』のような光に満ちた小説も存在する。
光が垣間見えた瞬間の、あの希望。
それは自分だけの光ではなかった。自分だけの暗闇ではなかったからだ。
僕にも青春があった。自分自身の中に光を見出した瞬間のことを、そう呼ぶのだとすれば。
<了>
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