無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

NHK朝ドラ『とと姉ちゃん』感想と考察 ~三姉妹の色彩について~

4月4日からスタートしたNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』。

そのドラマの感想を交えながら、前半パートは朝ドラとヒロインにおける<色彩>の話、そして後半パートは稀に現われる<陰>の概念について考察していきます。

当たり外れの大きい近年の朝ドラ。「ヒロインの性格が実直であること」や「戦後が物語の舞台であること」など、『とと姉ちゃん』にはこれまでの朝ドラの傾向からしてヒットする要素が揃っているにも関わらず「なんか分からんけど面白くないんだよなぁ」と感じる人が比較的多いようなので、そのもやもやのヒントになれば幸いです。

 

朝ドラは“赤の物語”

まずこれまで私たちが熱狂した朝ドラ作品を振り返ってみる。ヒロインは何色の洋服を着ているだろうか。

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いつだってヒロインの色は<赤>だった。

白い色は恋人の色ならぬ、赤い色は朝ドラヒロインの色。朝ドラのタイトルロゴやヒロインの衣装などいたるところに赤色が散りばめられている。

 

今回の『とと姉ちゃん』はその共通認識を利用し、あえて打ち破ろうと演出していることが出演者の衣装から垣間見ることができる。

三姉妹の中で、とと姉ちゃんこと長女・常子だけが青い洋服を着ている。

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次女と三女は赤や薄紅色の洋服を着ていることが多い。

もしもこれが「長女は青色・次女は赤色・三女は黄色」というふうにバラバラの色の洋服を着ていれば、三姉妹それぞれにイメージカラーが存在すると解釈することができるだろう。

しかし次女と三女の色をあえて被らせている。もっと正確に言うと<長女だけが違う>ということを強調している。長女・常子だけが<少女ではない>という意味だ。長女は“とと”(父親)だから、少女らしい赤い洋服は着ることができない。

 

結核の父親が晩年に「常子がととの代わりになってくれ……」と言い残すのは単なる<呪い>ではないかと僕は思うのだが、長女・常子は俄然やる気のようで、ととを継ぐ者として青い洋服を着て家族を率いてゆく。

物語設定然り登場人物のキャラ然り、王道らしい王道が好まれる朝ドラという枠組みの中で、少し王道からズレた形式をとるのが今回の朝ドラ『とと姉ちゃん』。

個人的な願いを言えば、ととが生きているあいだくらいは常子に赤い洋服を着せてあげても良かったのではないかと思う。

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そうすれば、<父親が居た頃=少女で居られた頃>や<赤い少女が父の死を経て青い父親になる>という表現にもなったはずだと思う。

 

 

不幸を宿命づけられた“陰の少女たち”

朝ドラの物語に毎回いるわけではないが、稀に<ヒロインの分身>となる少女が存在していることがある。

ヒロインにとてもよく似た境遇、よく似た志を抱えた少女であるにも関わらず、順風満帆な道は歩めない。

<ヒロインの分身>はヒロインとの対比のために存在しているため、ヒロインとは真逆の道を歩んでゆくことが宿命づけられている。ここではこの分身の少女<ヒロインの陰>と表現したい。

順調に夢や望みを叶えてゆき、悪くない人生を歩んでいくヒロインとは対照的に、望まぬ方へ堕ちていく<ヒロインの陰>。

 

例えば『あまちゃん』における橋本愛

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能年玲奈とともにアイドルになる夢を追いかけるが、父の危篤や震災によって東京行き電車の前途が鎖されてしまう。結果、橋本愛だけが夢に破れてしまう。

 

もう一つ例を出すと『あさが来た』における宮崎あおい

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姉妹である宮崎あおいと波瑠はそれぞれ名家に嫁ぐが、宮崎あおいの嫁いだ先の義母は冷淡な性格で、宮崎あおいに外部との接触を禁じ、蔵に閉じ込められるなどの仕打ちを行った。ひどい。その後、宮崎あおいの嫁いだ名家は新しい時代の波に乗れずに廃業、夜逃げへと堕ちてゆく。

 

橋本愛宮崎あおい

どちらの場合も、ヒロインより<ヒロインの陰>である2人のほうが兼ね備えているスペックは高かった。アイドルとして三陸で人気だったのは橋本愛であり、お嫁さん・女性として理想的な立ち振る舞いができるのは圧倒的に宮崎あおいだったはずだ。

しかしこの2人は絶対に幸福にはなれない。幸福な道とはヒロインが歩む道であり、その対比として存在する者は「幸福の反対」を歩むしか道はない。陰の人生だ。

そしてヒロインの色である<赤>の対比色は<青>である。

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ではここで『とと姉ちゃん』に話を戻そう。

『とと姉ちゃん』のヒロインは紛れもなく“とと姉ちゃん”である。しかし彼女は<青>だ。

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「ととの代わりに…」とご本人直々に言われたくらいなのだから、彼女は<父親の陰>の存在。

『とと姉ちゃん』は<青>と<陰>の存在がヒロインなのである。そんな朝ドラ今まであっただろうか。とても捻じれた構造になっているドラマであるという特性に、まだ視聴者の理解が浸透しておらず、それが『とと姉ちゃん』が苦戦気味である原因の一つであると考えられるのではないか。

 

個人的な感想を言うと、僕はそれでいいと思っている。捻じれていてもいい。

ただ都合良く話が進んでいく物語には深みや苦みがないし、何やってもうまくいかない物語を朝から観せられるのは正直言ってつらい。

あまちゃん』や『あさが来た』がその問題の解決策を出して証明した。<ヒロインの陰>を配置することで、ヒロインには幸福な道を歩ませながら物語に深みと苦みを含ませることができる。その形式を更に工夫しようとしているのが『とと姉ちゃん』だ。

新しい試みを行う作家を僕は応援したい。それによって新しいものが表現できたり、今まで見たことのなかったものが見えたりするのだろう。

それに、<陰>の運命の中で、いかに失敗や挫折や後悔とどうやって折り合いをつけていくかを見せる少女たちが、僕にはとても魅力的に映るのだ。

<青>と<陰>の物語を、もう少し愉しんで観よう。

<了>