無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

iPhoneと街の広告論

 

都市と広告

 

僕たちは毎日、数多くの「広告」を目にしている。

お昼のテレビ番組を観れば15秒CMがいくつも流れ、パソコンを開けばバナー広告がべたべたと貼られた画面ばかりを眺めて過ごす。Gmailで誰かにメールを送るときにすら、隣にはいつも広告が寄り添っている。メール本文の言葉遣いに迷ったのなら類似語をググればいい。検索結果の画面右側には、昨晩Amazonで閲覧した本の広告が流れたり、身に覚えのないune nana coolの新作が流れたりする。

家を出て、真夏の電車に乗ると、扉に大学のオープンキャンパスを告知するのステッカーが貼ってあって、週刊誌の中吊り広告が扇風機の風を受けて揺れている。綺麗なお姉さんが微笑む金融関係の張紙広告を眺めながら電車を降りると、駅のプラットホームで日テレの情報番組がリニューアルしたことを知らされる。

 

ある意味では、<その街のアイデンティティを広告が形成している>とも思えるくらいに、大都市は広告で溢れている。

心斎橋・戎橋のグリコ看板はまさにそれだし、この前は渋谷の交差点から見えるFOREVER21の美しさに驚いた。ビビットピンクとレモンイエローの出会い系サイトの大きな看板広告が堂々と掲げられ、電柱には整骨院の名前がやわらかいフォントで書かれている。

コンビニに入ればAKB48の新曲が耳に飛び込んできて、レシートにはクレジットカードのお得キャンペーンが印字さr「「ただいまファミチキ揚げたてですいかがでしょうかーー!!」」tりする。

広告は絵となり光となり音となり、たまに匂いとなって、身体に雪崩れ込んでくる。

 

 

芦屋市と広告

大都市の広告は、上述したように、それ自体が街のアイデンティティになっている。逆に、「広告募集」の白い看板が並ぶ商業都市はやはり活気がないし、どこか虚しいくらいだ。

では、そういういわゆる商業都市ではない街の広告はどうか。

日本有数の高級住宅地として知られる芦屋市。低層で落ち着いた住環境を守ろうと、市は2009年に全国で初めて市内全域を景観地区に指定し、昨年4月には独自の広告規制条例が制定できる景観行政団体に移行した。

芦屋市が屋外広告規制へ 日本一の厳しさで景観保全 - 神戸新聞2016年7月1日 

芦屋市という街は、いわゆる高級住宅街だ。

大手企業の創業者一族やオーナーが多く住んでいて、一軍で活躍するプロ野球選手などが住居を構えたりする。オリックスではない、どちらかと言うと年棒の高い阪神タイガースの選手だ。

 

更に関西にはもう一つ、厳しい「景観規制」を設ける自治体がある。京都市だ。

京都市では,屋外広告物を都市の景観をかたちづくる重要な要素として位置づけ,昭和31年から屋外広告物法に基づいて屋外広告物等に関する条例を制定し,屋外広告物等の規制と誘導を進めています。

京都市:屋外広告物の制度

赤と黄色のマクドナルドは、スターバックスのようなシックな外観になっており、青と白のローソンは純和風な風格あるコンビニになっている。評判は概ね好評らしい。外から来た人間からすると、神社やお寺などの観光地でないところでも“特別な街に来ている感”があってとてもわくわくする。

ただ、芦屋市は観光地ではない、住宅街だ。ただ、ちょっと、とても高級な。

 

 

広告と生活

 あの街で幼少期を過ごす子どもと、スーパー玉手が近所にある子どもとでは、大人になったときに価値観が大きく異なっているかもしれない。どこに違いが出るのかは分からない。それは“情報”に対する信用度かもしれないし、“色彩感覚”かもしれない。

 

そういう話は街だけではない。パソコンやスマホも同じだ。

スマホのアンカー広告(下部に固定されて出る広告)にイライラしながら、文脈関係なくぶっこんでくるアダルト広告に嫌悪感を示しながら、僕は毎日何かを読んだり見たりする。偶然か必然か、なんとなくたまに広告をタップしたりする。

広告はノイズ的な性質を持つ。スマホの場合、それを消すのはお金がかかる。逆に言えば、お金さえ払えば広告はキャンセリングできる。まるで芦屋市のように。

僕はHatena Blogの無課金ユーザーなので、僕のブログには広告が掲示されている。株式会社はてなにお金を払っていないから、どのページに飛んでもそれが付いて回る。

それは仕方がない。広告があるからって、別に有害というほどではない。でもノイズには変わりない。

月額600円の有料会員「はてなブログPro」に登録すれば「広告非表示」を選択することができるようになるらしい。

僕のブログから広告が無くなれば、書く内容も変わってくるのだろうか。あるいは、あなたの読み方も違ってくるのだろうか。

 

このブログ記事もそろそろ終わる。

記事の下部には僕が選んだAmazon広告を貼る。社会学者・北田暁大の『広告都市・東京』と、今日発売の『宣伝会議』8月号だ。その下には【はてブ】や【ツイート】などのソーシャルボタンが並ぶ。

そして最後に、Google AdWordsによって何かの広告が表示されているだろう。

広告は、この記事の読み方に何か影響を与えているだろうか。

<了>

増補 広告都市・東京: その誕生と死 (ちくま学芸文庫)

増補 広告都市・東京: その誕生と死 (ちくま学芸文庫)

 

 

宣伝会議2016年8月号

宣伝会議2016年8月号