古館アナウンサーが司会を務めるフジテレビのバラエティ番組の中で、「子どもの屁理屈って面白い」という趣旨で紹介された動画が、ネット上で波紋を呼んでいる。
問題となっているのは、仮面ライダーの変身ベルトがほしいと泣き叫ぶ女児に対して母親が「それは男の子のおもちゃだからダメ」と言い聞かせる内容の動画だ。ぼくは番組そのものは未視聴、リンク先のサイトで動画の部分だけを視聴した。
実際、母親の説得に対して反論する女の子のセリフ「じゃあ男の子になる」「ちんちんつけてそこからおしっこをする」という返しは面白く、番組の趣旨を理解して観ると笑ってしまうのもよく分かる。
でも、本当は全然笑いごとじゃない。
変身ベルトが欲しい女の子
そもそも「仮面ライダーの変身ベルトが男の子用のおもちゃである」というのは、商品を販売する上でのマーケティングの話でしかなくて、女の子がベルトを欲してはいけない理由はどこにもないし、遊んではいけない理由もない。Twitterなどで起こっている批判の多くは、そういったジェンダー差別の観点によるものが大半で、ぼくもまったくその通りだとは思う。
男の子だから・女の子だからというジェンダーの話だけでなく、「◯◯とはこうであるべき」というような無言の圧力が世の中にはあって、それが呪いとなって無意識に自分の選択に制約が掛かってしまっている人は、案外多いとぼくは感じている。そして自分自身もその一人だと自覚している。
人に見られたらどう思われるかとか、これを選ぶことは恥ずかしいことなのではとか。そういうことを気にしてしまいがちなぼくは、動画の女の子のように本当にほしいものをほしいと主張できる人のことをとても羨ましく思うし、自分もそうありたいと願っている。例えば、寿司屋に行って食べるネタの順番を気にしたくはないのだ。いちばんはじめにサーモンが食べたければサーモンが食べたいし、サーモンが食べたいと言いたい。
自分のしたいようにする、ほしいものをほしいと言って手に入れる。その尊さ。
そうしないと、本当にほしいものではない代替品で満足するように自分に言い聞かせてしまう癖がついてしまう。きっとうまく誤魔化せるだろう。うん、私にはこれが合ってる、これがいいんだ。
でも、いつかどこかで破綻してしまうかもしれない。もしも同世代の女の子が変身ベルトで遊んでいるところを目撃してしまったら、それでもあの子は自分に言い聞かせることができるだろうか。変身ベルトの代わりに買い与えてもらった女児用のおもちゃを(それはセーラームーンのステッキかもしれない)心から愛せるだろうか。私にはこれが合ってる? 女の子だから女の子用のおもちゃが合ってる? きっとへし折りたくなるだろう。*1
詳細は言いたくないけど、実際自分にそういう事案が去年降り掛かってきて、ぼくはちょっぴり死にたくなったのだ。
一番欲しいと願ったものは掌から滑り落ちて、味気のない代替品ばかり掴まされる一日だった。 pic.twitter.com/IVrwCky6Fv
— 潮見惣右介 (@shiomiLP) 2016年8月3日
一番ほしいと願ったものが手に入らなかったのは、それがほしいと主張しなかったからだ。代替品を掴まされたのは、それがぼくにぴったりだったからだ。
だからこそ、ぼくにとって変身ベルトの話はとても笑える話ではなかったし、泣き叫ぶ女の子の姿を観て軽く泣いてしまったのだった。
何が欲しいのか分からない男の子
話は変わる。しかしながら、もちろんのこと、先の話と繋がっている。
これは実際にぼくが遭遇したのではなくて、人から聞いた話なのだけれど。
おじいちゃんに連れられておもちゃ売り場へやってきた男の子。優しいおじいちゃんは「何かほしいおもちゃを一つ買ってあげるよ」と男の子に言う。男の子は喜んで、何にしようかとウキウキしながら店内をはしゃぎ回る。30分ほど経つと、先ほどまであんなに喜んでいた男の子が泣いてうずくまっている。心配したおじいちゃんは、どうしたんだい?と男の子に問う。男の子は泣きじゃくった声で、こう答える。
「何がほしいのか分からない」
何がほしいのか分からない。
男の子は何も買わずに帰ったのか、なんとなくほしいかもしれないと思うものを買ってもらったのか、それは分からない。
なんでも手に入る状況下で自分の望みがわからないことほど悲しいことはない。動画の女の子の話は他人との問題だが、この男の子の話は自分自身の問題だ。でもたぶん、動画の女の子と同じくらいの悲劇だ。
今でもこの男の子の話が頭に焼きついて離れないのは、男の子の泣きたくなるような気持ちにぼく自身も身に覚えがあるからだ。その虚しさとか、やるせなさとかを、からだが憶えている。
いつか男の子にとって欲するものや大切にしたいものが見つかってほしいと思うし、たとえそれが女の子用のおもちゃであろうと、ちゃんとおじいちゃんにおねだりしてほしいと願っている。
そしてぼく自身もそうしていきたい、というのが実は2017年の僕の目標だ。
2017年。他人が見てどう思おうと関係なく、自分にとって大切なものをちゃんと言葉にして支持して守っていく一年にしたいです。
— 潮見惣右介 (@shiomiLP) 2016年12月31日
変身ベルトがほしい女の子、何がほしいのか分からない男の子。
自分がほしいものを、周りに流されずに、人の目を気にせずに、見栄を張らずに、意地にならずに、ちゃんと見極めていこうと改めて思った。
ほしいものはいつでも
あるんだけれどない
ほしいものはいつでも
ないんだけれどある
ほんとうにほしいものがあると
それだけでうれしい
それだけはほしいとおもう
ほしいものが、ほしいわ。
【西武百貨店 1988年】