坂元裕二が脚本を手掛けるドラマ『anone』が放送開始した。
『カルテット』に熱狂し『初恋と不倫』に心を掴まれた自分にとっては、こんなにも早く新作が届けられたことに感激するばかり。そして、そんな期待を裏切らない頑丈な第1話であったことに、ただただガッツポーズである。
広瀬すず演じるハズレは、社会からはみ出した(しかし、社会の中に確かに存在している)場所に生きる少女。ドラマのタイトルであり、物語の鍵を握る田中裕子(田中裕子はいつだって物語の鍵を握っている)の役名である「あのね」は、語りかける他者がいて初めて発せられる言葉だ。
Twitterのモーメント機能やNAVERまとめがある限り、名言集としてまとめてしまいがちな坂元裕二のセリフ群であるが、言語から抜け落ちてしまうものをすくっていくのが物語であるのだから、冒頭の医者のように名言だけを抽出しても、そこに坂元裕二の本質は潜んではいない。彼はコピーライターでも詩人でもなく、ストーリーテラーなのだ。
ハズレの青、ハリカの赤
ダウンジャケットが象徴するように、ハズレの色は「青色」である。それは彼女の靴紐からスケボー、スマートフォンの色まで、ハズレの持ち物の細部にまで行き渡っている。一方ネットカフェの住民である、前歯が一本欠けたアリサと大金を奪って逃走したミクは、ハズレと対比するように暖色系の洋服を着る。
第1話で最も刺激的だったのは、ハズレが拠り所としていたおばあちゃんとの思い出の転覆だろう。
風見鶏が語りだすことによって、記憶の風向きが変わり始める。『西の魔女が死んだ』のような世界観を構築していたからこそ通用するこの演出には、観ていて声が出てしまった。
みんなと違うことは「アタリ」だと教えてくれたおばあちゃんは、本当は更生施設の長であり、みんなと違うことは「ハズレ」であると蔑まれたのが、本当の記憶であった。
あの密室の小屋で自らの名前を「私の名前はハズレです」と名乗らせる手続きは、少女から名前を強奪する『千と千尋の神隠し』の湯婆婆そのものだ。
それは人に預けたり、変えられたりしちゃだめなの。
おばあちゃんの家(=更生施設)にいた頃の幼少期の彼女は、常に「赤い洋服」を着ている。つまり、青色はあくまでも「ハズレ」という名前に付随する色であって、彼女の本名である「辻沢ハリカ」は赤い色をしているのだ。
青いダウンのハズレと交差する赤いセーターのハリカ。そして小屋に閉じ込められたときの赤いボーダーのTシャツ、そのとき青い洋服を着ていたのは他でもないカノンのほうだ。現在のカノンは入院していて、病院の売店で購入した薄いブルーのパジャマを着ている。彼は自分の色を纏っていながらも、生命力が弱っていることが「薄い」から読み取ることができる。
思えば、チャットアプリでふたりがそれぞれ使用しているアバターは、ふたりの本来の色をしている。ハズレのアバターは赤い洋服、カノンのアバターは青い洋服。ハズレのアバターのマスクは清掃アルバイトのそれだろう。
お互いに勘ぐり合いながらも(詐欺じゃないか?と疑いながらも、あるいはそのおばあちゃんの記憶は嘘だと見破りながらも)、ふたりにとって本当の自分をさらけ出す場になっていることがアバターの色から見て取れる。お互いに本当の名前を名乗る前から、そこではハズレとカノンではなく、ハリカと彦星であったのだ。
クッキーをメタファーにして語られた「お前はハズレだ」という記憶を、頭の中で捏造して「アタリ」の話として記憶していながらも、今でも「ハズレ」という名前を名乗っているのは、きっと心のどこかで自分は「アタリ」だと信じたいからだろう。ハズレの所有物から赤色が現れたときは、彼女の本心を見え隠れするときであろうから、これからも注意しておくべき点であると思う。
一方で、同時進行で物語が進み、ハリカの物語とときたま絡み合う阿部サダヲと小林聡美。冒頭のやり取りは素晴らしく、常にフリスクを2粒以上取り出してしまう不器用さは、とてもシンボリックでありながら共感を生む。小林聡美の役名は「青羽」でありながら、赤い洋服、赤いネイルをしている。名前と色彩をめぐる表現はおそらくこれからも展開を見せる部分だ。
逃避行
冒頭でも書いたように、このドラマのタイトルとなっている「あのね」という言葉は、語りかける他者がいて初めて発せられるものだ。
大切思い出って、支えになるし、お守りになるし、居場所になるんだなあって、思います。
ハズレが拠り所としていたおばあちゃんとの思い出は捏造されたものであったが、あの夜の逃避行でカノンが着ていた青いダウンジャケットと長く伸びた前髪は、今のハズレを形成する要素として確実に息づいている。ハズレの青はカノンに由来するのだ。
そしてカノンも、たとえ偽りであっても「あのね」で始まるハズレの物語は、入院する彼にとって拠り所であったし、ハリカと共に小屋から脱走した逃避行の記憶は、彼にとっての支えでありお守りであり居場所であった。ハリカは、自分もまた誰かの思い出になっていたことをそこで知る。
ハリカと彦星の逃避行、阿部サダヲと小林聡美の逃避行、田中裕子の逃避行。
彼ら彼女らは逃げ続ける。社会から、生きづらさから、あるいは罪から。
たとえ逃げしのいだ先が、あのチャットアプリの背景のような、廃墟と化した惑星であったとしても。
支えになる思い出があれば。「あのね」と語りかけるあなたがいれば。
<了>