無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

冬の歩調

f:id:shiomiLP:20230119205950p:image

 

ーー確かにお前の言う通り、冬はたぷたぷした猫と暮らしたくなるね。

 

 

夜中の静かな高速道路を走っている。子どもの頃は後部座席のまんなかに座り、ブレーキランプの赤が連なる車列を眺めながら「いま誰が先頭を走っているんだ?」といつまでも考えていた。レースではないのだから先頭が存在しないことは確かで、でも自分の車が先頭ではないことも同じくらい確かなことだったから、なおさら不思議だった。

 

 

f:id:shiomiLP:20230119210104j:image

https://goo.gl/maps/Yq9qA7r1fSywpgGy5

「高速道路の案内標識って、ふたつの地名が並んでるとフルネームにみたいになっていることがありますよね」と助手席のあなたは言う。ぼくは会話の弾みを失わせないために反射的に笑いながら、「そういうのって見つけた瞬間はちょっと嬉しくなるけど、わざわざ覚えておくようなことでもないよね」と口走ってしまい、そしてそのことを長らく後悔する。

以後、ぼくは人名的な案内標識を見つけてはメモすることにしている。見つけるのは基本的にいつも運転中なので、メモできるまでに失念してしまわないよう「高丸舞子、高丸舞子、高丸舞子……」と何度も声に出しながら運転を続ける。採集した名前はiPhoneのメモ機能に記録している。高丸舞子、小野稲美、竹野香美、川西小花ーーなぜかあなたの名前は思い出せない。

 

 

信号待ちするトラックの車体に「競走馬輸送中」と書かれていた。車体側面の小さな窓を覗くと、暗闇のなかに美しい毛並みがぎらりと輝くのが見えた。馬だ。確かにこの道を行けば阪神競馬場がある。彼らはどこから来たのだろう。馬に限らず、生き物にとって移動は多かれ少なかれストレスになるはず。元気かい?と小窓をもう一度覗くと、中でごそごそと動いているのが感じられ、微かに鳴き声がした。元気そうなので案外居心地は悪くないのかもしれないな。もしかしたら中堅くらいの馬が「マジで移動だりー。調教師さーん、これウチらで走ったほうが早くないっすか?(笑)」みたいな香ばしいことを言っているかもしれない。馬にだってそういう時期はあるだろう。体育会系の馬なんだし。

 

 

あらゆるもの、と声に出したときに想像しうる宇宙は、ひとそれぞれ異なるひろがり。銀河は銀河でどら焼きのかたちをしている。

 

 

定期的に通っている駅の商業施設に大型バスが突っ込んだ。割れた硝子の破片がきらきらと足元に落ちている。自分を死たらしめるものは身の回りに有り余るほどあり、自分を生かそうとするものといえばほとんど自分自身くらいであることを考える。よく30年も生きてるなと思う。みんなよく生きてるなと思う。生存バイアスだとしても。

 

 

冬の歩調

迷宮として名高い梅田の地下街を歩いている。かつて我々のセーブ・ポイントとして重宝されていたミラノ風の噴水は数年前に姿を消し、その近くの丸ビルのタワーレコードもいつの間にやら閉店してしまった。(そもそも丸ビル自体も解体されるらしい。丸ビルの外壁を甲子園みたいに蔦を這わせる計画はどうなったのだ。)梅田ダンジョンは足を踏み入れるたびにその姿を変える。昨日あった通路が今日もあるのは限らない。

噴水の跡地からJR大阪駅の改札口へと向かう地下通路はいつも多くの人がぞろぞろと行き交う。自分もその雑踏のなかでコートに手を突っ込んで歩いている。気づけば通路は緩やかな坂に変わっていて、自分の前をゆく車椅子がぐぬぬんっと減速するのがわかった。二足歩行だとほとんど意識しない程度の傾斜だが、車椅子で登るには酷かもしれない。そう思って観察していたら案の定その人は車椅子を漕ぐ腕をぶん回し始めたので、人見知りが稀に発揮する謎の瞬発力で「押しましょか」と斜めから声をかけてみた(こういうときまじで関西弁って便利よなと最近よく思う)。「ああ、ありがとうございます……助かります……」という反応からして迷惑ではなさそうだったのでよかったが、相手も割と人見知りな様子だった。十年振りくらいに押す車椅子のハンドルは思っていた以上に滑らかで、気を抜くと左右にふらついてしまう。まっすぐ進まねばと心掛ける。背後から無言で押されるのも怖いだろうと思い、「……どこまで行くんですか?」と話しかけてみたが、なんだかナンパしてる人みたいだと思って恥ずかしくなる。「ああ、えっと、そこ(スロープの終わり)までで大丈夫です……」とナンパを断る人みたいなことを言わせてしまって申し訳なくなった。

スロープを登りきり、雑なナンパを見事に振り切ったその人は、小さなお礼を告げたあと人波のなかにすーっと消えていった。もしこのまま、あの人の目的地まで一緒に着いていったら、ぼくはきっと元の場所には戻れなくなるだろう。ここは梅田ダンジョン。現代都市のラビリンス。誰もが自分の目的地までの道のりしか知らない。

 

<おしまい>

 

『ANOTHER NEW YEAR』- Homecomings