無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

『劇場版ポケモン みんなの物語』 - ポケモン映画の新しい方向性?

劇場版ポケットモンスター みんなの物語

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前作『きみにきめた!』に続き、今年もポケモン映画を観てきました。

BuzzFeed Japanさんの記事に感想コメントを出したのですが、他にもいろいろ言いたいことがあるので、少しだけ感想を書きます。普通にネタバレしているので未鑑賞の方は気をつけてください。

ちなみに前作については、KAI-YOUさんに記事を寄稿しているので、そちらを読んでいただけたら嬉しいです。

大人たちが感動した「ポケモン最新映画」が歴代最高傑作って知ってますか?

 

「みんな」に届く物語

21年目を迎え、ポケモン映画は大きく変わった。シリーズ開始以来20年間監督を務めてきた湯山邦彦さんに代わり(お疲れ様でした!)、33歳の矢嶋哲生さんが監督に就任。(若い!)これからの劇場版ポケモンのあり方を示すような、コンセプトの大幅な変更を実感する作品となった。

今作のコンセプト。タイトルにあるように、世代や性別を問わない「みんなに届く物語」がこの映画の目指すところだろう。

 

ポケモン映画としては珍しく、年代も性別もバラバラなキャラクターたちが登場する。彼らは皆人間臭い悩みを抱えていて、観客の誰もが、登場人物の誰かの悩みを「自分ごと」のように思えるようなストーリーになっている。イップスを抱える女子高生・リサ、あがり症のポケモン研究家・トリト、ホラ吹き中年・カガチ、ポケモンにトラウマを抱えるおばあさん・ヒスイ。

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(画像:幅広い世代の登場人物たちの中で最年長・ヒスイの声を演じるのは、御年81歳のでぇベテラン・野沢雅子だ)

現実世界においても、今やポケモンワールドは少年少女だけでなく世代を問わず「みんな」に開かれている。初代や金銀に慣れ親しんだ世代は現在20代〜30代。ポケモンGOのユーザーには40代、50代以上も少なくない。そして、もちろん世界中には数多くのポケモンキッズが存在している。

ついでに今作のゲスト声優陣も、10代の芦田愛菜、20代の川栄李奈、30代の濱田岳、40代の大倉孝二、そして80代の野沢雅子と世代がバラけている。(芦田先生の演技はさすがでした。そして川栄李奈のうまさに驚いた。声優もできるんだ…)

幅広い年代の登場人物と声優陣は、まさにこの映画が幅広い年代の観客に向かって開かれていることを象徴しているし、そして実際に広く受け入れられていることが「歴代最高傑作」と呼ばれるゆえんではないかと思う。

 

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また、放送中のテレビアニメシリーズとは別の物語となっているため、最新のポケモン事情を知らない人であっても問題なく鑑賞できるというのも大きなポイントだろう。

子ども向け映画という印象はまだまだ拭えないけど、ドラえもんのび太さえ知っていればドラえもん映画を楽しめるように、サトシとピカチュウさえ知っていればポケモン映画は楽しめる。

ポケモン映画がこれからもこのコンセプトを続けるかはわからないけど、大人を狙い過ぎて子供たちを置いてけぼりにしない限りは、ぼくは割と支持していきたい方向性ではある。

 


他者との向き合い方、自分自身との向き合い方

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これまでのポケモン映画は、伝説のポケモンの存在や悪党とのバトルが中心だったけど、今作では今までにないほど人間ドラマが描かれている。

おなじみのロケット団やちょっとした悪役も登場するが、問題の根源は誰かの「悪意」ではなく、あくまでも「コミュニケーションのズレ」や「自信の無さ」にある。映画を観ていて『君の名は。』を連想した人が多いらしいけど、ぼくはどちらかというと『ズートピア』だった。

登場人物たちが抱える人間臭い悩みのほとんどは、他者とのコミュニケーションの問題。ここでいう「他者」とは人間だけでなくポケモンのことでもある。
トラウマ、イップス、ホラ吹き、あがり症、人間不信など、彼らは他者と上手に向き合えてこれなかった人たち、あるいは自分自身と向き合えなくなった人たち。

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(画像・自信が持てない博士。ラッキーの声がセクシーすぎてやばい)

 

人だけではなく街もそうだ。映画の舞台となるフウラシティという街は、ポケモン(ルギア)とのコミュニケーションによって恩恵を受けていると同時に、別のポケモン(ゼラオラ)との長期に及ぶ確執を抱いたまま、問題を持ち越してしまっている面も持ち合わせている。

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彼らが、そして街が、ポケモンとの交流を通じて「自分の人生との向き合い方」を自ら発見し掴み取っていく。ひとつの大きな事件を通して、彼らの物語が綺麗に収まっていく脚本の力量は、確かにすごかった。

 

<細かい不満点>

しかし、細かいところで気になる部分というか、ちょっと強引な部分、荒い部分は確かにある。そもそもこれだけポケモン在りきな世界で、ポケモンについてほとんど知らない高校生や中年って存在するのか…?(スマホ持ってない高校生、くらいの感覚なのだろうか…?)とか。約束しているとはいえ、一匹の(伝説と呼ばれるほど希少な換えの効かない)ポケモンに電力インフラを依存している都市ってまずくないですか?とか。ルギアって海の神じゃなかったっけ、なんか風の神っぽい立ち位置なのですが、というか脚本的に別にルギアである必要はないよね?とか。

いろいろ言いたいことはあるけど、でもそういうところを突くのは、なんか違うなって、最近思わないこともないんですよね。細かいところを無視できるくらいの勢いや雰囲気があれば、ある程度は許せるんじゃないかと思ったりもします。思わなかったりもします。

今作にそれだけの勢いや雰囲気があったかどうかはわからないけど、少なくともブルーのくだりで泣いたぼくは偉そうなこと言えないです。ここ数年で一気に涙腺弱くなってきた…。 


* * *

 

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最後に。前作のように初代・金銀世代ホイホイな要素をあげるとすれば、『ルギア爆誕』から19年経て、ルギアが再び「銀幕」に帰ってきたことに尽きる。劇中の細かなところに『ルギア爆誕』への目配せが散りばめられている。(とはいえぼくが『ルギア爆誕』を観たのは19年前なので全然覚えていない)

 

前作のホウオウ、今作のルギア、そして来年の夏公開の劇場版は『ミュウツーの逆襲』のリメイク?であることが発表されている。
21年目を迎え、ポケモンというコンテンツが成熟していることもあって、ポケモン映画も年を重ねるごとに洗練されてきた。その中で、未だに人気の根強い劇場版第1作「ミュウツーの逆襲」をリメイクすることに、ポケモンファンとしては大きな期待を持たざるをえないです。

<了>

劇場版ポケットモンスター キミにきめた! [DVD]

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第159回芥川賞候補作の感想と予想

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第159回の芥川賞候補作を読みました。

高橋弘希「送り火」(文學界5月号)

町屋良平「しき」(文藝夏号)

古谷田奈月「風下の朱」(早稲田文学初夏号)

松尾スズキ「もう「はい」としか言えない」(文學界3月号)

北条裕子「美しい顔」(群像6月号)

 

全体的な印象として、掲載誌と作家の文体がそれぞれ共鳴しているようで、ゆえにどれも高い純度に仕上がっているのかなと思いました。町屋良平は文藝らしいし、高橋弘希は文學界らしくて、古谷田奈月は早稲田文学らしかった。そして、名前を挙げたこの三者が、今回の受賞の有力候補かなと予想しています。

 

送り火

送り火

送り火

 

 「掲載誌と作家の文体がそれぞれ共鳴している」と書きましたが、特に高橋弘希はもともと芥川賞らしい古典的な文体であるし、芥川賞の傾向を知っている読者からすれば、『送り火』の物語構成は「あ、芥川賞狙ってるな…」とはっきりわかるような作品になっていました。芥川賞と共鳴している、という点においては高橋弘希がずば抜けているかなぁと思います。

ただ、田舎のコミュニティに関する書き方や暴力の扱い方には様々な異論がありそうで、選考会のなかでどうなるかは不明。高橋弘希は遅かれ早かれ芥川賞とるだろうと思っているのですが、もう4回目の候補なんですね。そろそろとってくれ…。

 

■しき

しき

しき

 

ぼくの受賞予想は町屋良平『しき』です。多少読みづらさはあるものの、それは文章の拙さではなく意図的な仕掛け。褒め言葉ではないのかもしれないけど、文藝出身作家らしい洗練された文章でとても好みでした。文藝出身作家が好きなんですよ…。

「思考」と「身体的な運動」がうまく連結せず、アンビバレンスな感情や踊りたい欲求が疼く様子は、デビュー作『青が破れる』のそれよりもはるかに丁寧だと感じました。これが受賞してくれたら嬉しい。

特に誰も言及してないけど、ラストシーンがとても美しくてよいです。

 

■風下の朱 

無限の玄/風下の朱 (単行本)

無限の玄/風下の朱 (単行本)

 

古谷田奈月の作品を読むのは初めて。芥川賞というよりも三島賞っぽい作品だなと思って読んでいたのですが、どうやら前作で三島賞をとっているんですね。

女性だけのホモソーシャルな空気感?が京アニの日常系アニメを彷彿させる。野球選手になるためには、自身の女性性から逃れ続けなければいけなくて、でも逃げられるものではなくて。性との向き合い方に哲学を見出し、それを小説に落とし込む技術は途轍もない力量だなと思いました。仮に今回の芥川賞を受賞しなくても、長く活躍し続ける作家だと思います。

 

■もう「はい」としか言えない

とにかくおもしろくてザクザク読める。松尾スズキを読むのも初めてだったのですが、なるほど本谷有希子はこういうところを受け継いでいるんだなぁと、特に序盤はそんなことを考えていましたが、最終的にとんでもない地点まで飛んでいくパワーは松尾スズキの力量、というかやんちゃさ。

とてもおもしろいですが、他の候補作を見渡すと「もっと他に受賞するべき作品があるだろ…」と思えてならないので、受賞は難しい気がします。

 

■美しい顔

群像 2018年 06 月号 [雑誌]

群像 2018年 06 月号 [雑誌]

 

盗用に関する騒動は一旦横に置いていくとして。

読みながら何度も泣いてしまいました。読み進めるのがつらいくらい。しかし、小説を読んで泣くというより、実際にあった震災のことを思って泣く、という感触でした。NHK朝ドラ『あまちゃん』が始まったときにも考えていたことですが、「あの震災をわざわざフィクションで描く意味」について、未だにぼくは腑に落ちるような答えが見つけられていないようです。(NHKでよく流れる『花は咲く』という歌すら苦手だ…)

小説の終盤、登場人物に作家の考えをそのまま長台詞で喋らせているところなど、たぶん小説の技術としては他の候補作に比べて劣る点が多いものの、それでも読者の心を動かすだけの熱量が確かにあって、そういう力をもっとも感じる作品でした。盗用どうこうは別として、そこはちゃんと評価されてほしいと思います。

 

* * *

 

最初に書いたように、有力候補だなと思うのは高橋弘希『送り火』、町屋良平『しき』、古谷田奈月『風下の朱』です。そして、どう転がるか分からない北条裕子『美しい顔』。

個人的に受賞してほしいのは町屋良平。『しき』は「文藝 夏号」に掲載された作品なのですが、その雑誌の目次についていた見出しが、この作品をうまく表現していると思いました。

未熟なこころで「踊ってみた」春夏秋冬

こういう作品が、たとえば主人公たちと同世代の読者などに届けば、純文学好きからすればとても嬉しい。芥川賞、踊ってみた、尾崎世界観。届く準備はできていると思います。

<了>

しき

しき

 
送り火

送り火

 
無限の玄/風下の朱 (単行本)

無限の玄/風下の朱 (単行本)