無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

秋の歩調

f:id:shiomiLP:20230117125341p:image

秋の気候が好きだ。気分だけでなく体調もよくなる。自軍の色のインクのなかを泳ぐスプラトゥーンのような軽やかさで、駅の階段をタタンタタンと小気味よく降りている。夏の倦怠感はきっと、からだに敵軍のインクがまとわりついていたんだろう。わかばシューターから放たれたイチョウの葉は、街を秋の色に塗りつぶしていくんだぜ。(?)

 

 

無印良品の店内で小さいサイズの冷蔵庫を見ていたら、近くのダイニングテーブルでおままごとをしていた女児に「さむいのでレイゾウコしめてくださぁい」と声をかけられた。「あ、はーい」と返事して冷蔵庫の扉をぱたんと閉めた。その瞬間、その場にいた大人たちはみな、自分がおままごとのエキストラであったことを知る。こういう光景に遭遇するとどうしようもなく朗らかな気持ちになって、なぜか泣きそうになる。

 

 

乗っていたエレベーターが緊急停止した。 5分も経たずに再稼働して無事に扉が開いたが、 ハーゲンダッツを食べながら扉から出てきてしまったのでちょっとだけ反感を買ってしまった。なぜか泣きそうになる。

 

 

夜がきて「夜の帳が下りた」と思ったことは一度もない。だから夜がきたことを「夜の帳が下りた」と書いてしまうのはなんかちがう気がして一度も書いたことがない。自分の感覚が伴っていない表現はなるべく避けている。そんな感じで、自分は使う気にならないんだよなとぼんやり思っている表現をみなさんに聞いてまわりたい。でも聞いてまわってしまうときっとぼくは簡単に納得して、今後その言葉を使えなくなってしまうかもしれない。単純に禁じ手が増えるだけになりそう。禁じ手はないほうがいいんだよな、ほんとうは。何事においてもそうだけど、自分で勝手に禁じ手にしているだけの、鍵のかかってない開かずの扉が世の中にはたくさんある。なるべくひらいていこうね。

 

 

自分とまったく関係のない人が今日もどこかで生きている。そんななんでもないようなことに常日頃から救われているから、自分とまったく関係のない人がどこかで亡くなったというニュースにこころを痛めてしまう。

忘れたい人が忘れられるためにわたしが忘れない。つらいニュースを、それでも追う理由になっている。

 

 

大阪という土地柄、街なかでお笑い芸人を見かけることが多い。ぼくは街で有名人を見かけても基本的には声をかけないと決めているのだけど、もしいつかこの人と遭遇することがあれば勇気を出して声をかけようと昔から思っている人がふたりだけいる。藤原基央小沢健二である。そこに鈴木もぐら(空気階段)を追加すべきか否か、ひとりで審議中である。

 

 

秋の歩調

いつものように駅の改札を抜けると、ふたりの子どもの手を引いて歩く小沢健二の姿が目に入った。あっ、小沢健二だ、と思った。小沢健二のインスタグラムをフォローしているので、たびたび大阪に来ていることは知っていたけど、まさかほんとうにいるとは思わなかった。どうしようどうしようとうじうじしていると小沢健二がエレベーターのボタンを押したので、いましかないと思って「小沢さんですか」と声をかけた。いや、小沢さんですかと声をかけたつもりだったけど、こちらを振り返った瞬間の目元が完全に小沢健二だったので「オ、オザワサン……」としか言えなかった。笑ったときの目元がさらに小沢健二だった。コロナ禍なので握手はできないよな、と思っていたらグータッチをしてくれた。リーリーくんと天縫くんもぼくに向かってなにかを喋っていたはずなんだけど、ごめんまじで自分が次に何を言うかと小沢健二が次に何を言うのかに全神経が注がれていたので何ひとつ聞き取れなかった。エレベーターの扉が閉まる瞬間まで得意先を見送るみたいに礼をしてしまって、あとで思い返して自分でもおかしいなと思った。うれしかったな。でもなにも言えなかった。活動休止中にファンになったので活動再開がとてもうれしいですって言えばよかった。魔法的は大阪で、春の空気に虹をかけは武道館で観ましたって言えばよかった。ドゥワチャライクが読みたくて神保町で雑誌『Olive』をさがし彷徨ったって言えばよかった。『シナモン(都市と家庭)』の季節ですねって言えばよかった。男子の気分/女子の気分って表現は大発明やねって言えばよかった。『うさぎ』が手に入らなくて困ってんねんって言えばよかった。『ある光』の歌詞は僕の大事なものにもなっているって言えばよかった。でも声をかけられてよかった。好きだと伝えられてよかった。

 

後日、小沢健二に遭遇したことを知人に話すと、オザケンオーラあった?と尋ねられた。オーラというものは正直よくわからないけれど、子どもたちの手を引いて歩く小沢健二の姿を眺めていたとき、駅構内にいた他のすべての人が小沢健二とは逆方向に歩いていたような気がする。多くの人が往来するターミナル駅なのでそんなわけないんだけど、でもそのときの情景を頭のなかで再生するとそうなる。そう答えると意味わからんと笑われた。でもそれはぼくがあとから勝手に幻想化しているだけというか、小沢健二だってすごく当たり前に街で暮らしている人でしかないよなと改めて思う(さすがに改札機の横で乗り越し精算する小沢健二の姿はシュールではあったけれども)。いつか漆黒の/純白のNYシティの中に姿を消したあとも彼は、確かにその街のなかで暮らしていたはずで、そのことをしっかりと実感を持って感じられるようになったことが今はなによりうれしい。

 

<おしまい>