無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

このまま欅坂46を推していていいのか? - 紅白2017

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年末の紅白歌合戦欅坂46のパフォーマンスについて、年が明けて10日が過ぎてようやくある程度は整理がついてきた。タイトルからも分かる通り、どちらかと言うとネガティブな内容の記事になる。
記事の前半は欅坂46のメンバーの消耗について。後半はぼくの仮説として、欅坂46に掛けられる「負荷」が、AKB48乃木坂46の「負荷」とは異なった性格を持っていることについて考える。

 

 

誰が倒れてもおかしくなかった

平手友梨奈鈴本美愉が倒れる姿を見て、なにか見てはいけないものを見てしまった気分になった。紅白が終わり、年を越してからも、そんなモヤモヤとした気持ちが拭えずにいた。

前兆がなかったわけではない。平手友梨奈の雰囲気は、『不協和音』のリリース以降からガラッと変わり始めていた。平手が楽曲(不協和音)の世界観にのめり込むタイプの人間であるとはいえ、歌唱機会のないインタビューやトーク番組などでもその態度を貫き通しているのは何故か。不機嫌?体調不良?を感じさせるようなその振る舞いは、かつてのAKB48前田敦子を彷彿させる態度だった。

鈴本美愉は欅坂の中でもっともダンスの上手なメンバーで、決して体力のないほうではない。しかしダンスがうまいということは、裏を返せば身体により負担をかける動きができるということなのかもしれない。

テレビ放送には映らなかったが、志田愛佳も倒れてスタッフに運ばれたとの報道があった。まだ19歳とは言え、物事から一歩引いて冷静に観察できるタイプの志田でさえも、自分の身体をコントロールできる範囲を超えて踊ってしまった。

他のアイドルグループがどんな感じなのかは知らないが、欅坂46は体調不良などの理由から、メンバーを欠いた状態でライブパフォーマンスを行うことがある。平手不在で『サイレントマジョリティー』を披露するなんてこともあるくらいだ。今は徐々に復活しつつあるが、体調不良を理由に去年4月から休養しているメンバーもいる。

つまり今回の出来事は、メンバー個人の問題ではなく、欅坂46そのものの問題であり、「舞台上で誰が倒れてもおかしくない状況だった」という認識で間違いはないと思う。

 

 

総選挙や選抜のないからこそ(?)掛けられる「身体的負荷」

平手にフォーカスして語ることが多いとはいえ、欅坂“箱推し”であるぼくにとっては、グループが示す方向性は重要で、その変化にはやはり敏感でありたい。

平手は『不協和音』について「命を削る歌」だと語り、他のメンバーたちもそのダンスの「極限性」をインタビューなどでよく口にする。

平手の態度やメンバーの限界感が、果たしてリアルなことなのか演出なのかは分からない。というよりも関係がない。どちらにしても、欅坂運営サイドとして「そういう印象を打ち出していきたい」という姿勢を取っていることには変わりないからだ。

『不協和音』によって打ち出された「身体的負荷」は、ライムスター宇多丸のいうところの「残酷ショー」にあたると思う。アイドルに「負荷」が掛けられ、そこで生まれる物語をファンは楽しむ。

例えばAKB48には総選挙制度があり、乃木坂46には選抜制度がある。どちらのグループもセンター争いがそれなりに機能している。総選挙・選抜制度・センター争いは、メンバーに課せられる「精神的負荷」だ。どれも今の欅坂46にはない要素である。「精神的負荷」を持たない代わりに、欅坂46がこれから全面的に押し出していくショーが、紅白に象徴されるような「身体的負荷」なのではないかとぼくは感じた。「身体的負荷」が掛けられていく姿は、軍服に似た衣装を着た彼女たちが「戦う」姿として、とても映えるだろう。

”笑わないアイドル”という風潮を覆す楽曲『風に吹かれても』のパフォーパンス時であっても、平手は笑わなくなった。平手はこれからもつらい表情を続けるかもしれない。もしかすると他のメンバーがバタバタと倒れていくかもしれない。

たとえ、「負荷」を乗り越えた先に素晴らしい物語や美しい象徴が生まれたとしても、女の子たちが幸せでなければ、そんなもん、後味が悪いだけじゃないか。

 

* * *

 

AKB48における総選挙や、乃木坂46における選抜制度。欅坂46にはそれらの「精神的負荷」がないかわりに、激しいダンスで極限まで向かう「身体的負荷」が掛けられる。

そう考えると、紅白歌合戦によって引き起こされた平手鈴本志田のダウン(身体的負荷)は、センター降板が決まった時に卒倒した生駒里奈のダウン(精神的負荷)に対応するものではないかと考えられる。

精神的なものにしろ身体的なものにしろ、「負荷」に立ち向かう欅坂が見たいか?と問われると、ぼくはそんなもの望んでいない。

峯岸みなみのような例もある。ああいうのはファンすらも加害者になりうるわけで、自分もメンバーへの圧力の一部に加担してしまっていたのではないかと考えると胸が痛む。

 

今回の件で、このまま欅坂46を応援していていいのだろうかと若干の迷いが生じた。

思えば、アイドルにここまでハマったのは欅坂46がはじめてだった。メンバー全員の名前も言える。ひらがなけやきも。新しいメンバーはまだちょっと怪しいけど、丹生明里ちゃんがめっちゃかわいいのは知っている。ブログでうだうだと書き連ねていても、やっぱり欅坂のクリエイションはわくわくするし、平手をはじめとするメンバーを観ているのはとても楽しい。

 

だけど、もしもまた何かあったら、ぼくはもう欅坂46を推せなくなるかもしれない。せめて自分の好きなものの世界では、つらくなるようなものは見たくないと、そう願うばかりだ。

<了>

クイック・ジャパン135

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