第159回の芥川賞候補作を読みました。
町屋良平「しき」(文藝夏号)
古谷田奈月「風下の朱」(早稲田文学初夏号)
北条裕子「美しい顔」(群像6月号)
全体的な印象として、掲載誌と作家の文体がそれぞれ共鳴しているようで、ゆえにどれも高い純度に仕上がっているのかなと思いました。町屋良平は文藝らしいし、高橋弘希は文學界らしくて、古谷田奈月は早稲田文学らしかった。そして、名前を挙げたこの三者が、今回の受賞の有力候補かなと予想しています。
■送り火
「掲載誌と作家の文体がそれぞれ共鳴している」と書きましたが、特に高橋弘希はもともと芥川賞らしい古典的な文体であるし、芥川賞の傾向を知っている読者からすれば、『送り火』の物語構成は「あ、芥川賞狙ってるな…」とはっきりわかるような作品になっていました。芥川賞と共鳴している、という点においては高橋弘希がずば抜けているかなぁと思います。
ただ、田舎のコミュニティに関する書き方や暴力の扱い方には様々な異論がありそうで、選考会のなかでどうなるかは不明。高橋弘希は遅かれ早かれ芥川賞とるだろうと思っているのですが、もう4回目の候補なんですね。そろそろとってくれ…。
■しき
ぼくの受賞予想は町屋良平『しき』です。多少読みづらさはあるものの、それは文章の拙さではなく意図的な仕掛け。褒め言葉ではないのかもしれないけど、文藝出身作家らしい洗練された文章でとても好みでした。文藝出身作家が好きなんですよ…。
「思考」と「身体的な運動」がうまく連結せず、アンビバレンスな感情や踊りたい欲求が疼く様子は、デビュー作『青が破れる』のそれよりもはるかに丁寧だと感じました。これが受賞してくれたら嬉しい。
特に誰も言及してないけど、ラストシーンがとても美しくてよいです。
■風下の朱
古谷田奈月の作品を読むのは初めて。芥川賞というよりも三島賞っぽい作品だなと思って読んでいたのですが、どうやら前作で三島賞をとっているんですね。
女性だけのホモソーシャルな空気感?が京アニの日常系アニメを彷彿させる。野球選手になるためには、自身の女性性から逃れ続けなければいけなくて、でも逃げられるものではなくて。性との向き合い方に哲学を見出し、それを小説に落とし込む技術は途轍もない力量だなと思いました。仮に今回の芥川賞を受賞しなくても、長く活躍し続ける作家だと思います。
■もう「はい」としか言えない
とにかくおもしろくてザクザク読める。松尾スズキを読むのも初めてだったのですが、なるほど本谷有希子はこういうところを受け継いでいるんだなぁと、特に序盤はそんなことを考えていましたが、最終的にとんでもない地点まで飛んでいくパワーは松尾スズキの力量、というかやんちゃさ。
とてもおもしろいですが、他の候補作を見渡すと「もっと他に受賞するべき作品があるだろ…」と思えてならないので、受賞は難しい気がします。
■美しい顔
盗用に関する騒動は一旦横に置いていくとして。
読みながら何度も泣いてしまいました。読み進めるのがつらいくらい。しかし、小説を読んで泣くというより、実際にあった震災のことを思って泣く、という感触でした。NHK朝ドラ『あまちゃん』が始まったときにも考えていたことですが、「あの震災をわざわざフィクションで描く意味」について、未だにぼくは腑に落ちるような答えが見つけられていないようです。(NHKでよく流れる『花は咲く』という歌すら苦手だ…)
小説の終盤、登場人物に作家の考えをそのまま長台詞で喋らせているところなど、たぶん小説の技術としては他の候補作に比べて劣る点が多いものの、それでも読者の心を動かすだけの熱量が確かにあって、そういう力をもっとも感じる作品でした。盗用どうこうは別として、そこはちゃんと評価されてほしいと思います。
* * *
最初に書いたように、有力候補だなと思うのは高橋弘希『送り火』、町屋良平『しき』、古谷田奈月『風下の朱』です。そして、どう転がるか分からない北条裕子『美しい顔』。
個人的に受賞してほしいのは町屋良平。『しき』は「文藝 夏号」に掲載された作品なのですが、その雑誌の目次についていた見出しが、この作品をうまく表現していると思いました。
未熟なこころで「踊ってみた」春夏秋冬
こういう作品が、たとえば主人公たちと同世代の読者などに届けば、純文学好きからすればとても嬉しい。芥川賞、踊ってみた、尾崎世界観。届く準備はできていると思います。
<了>