無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

今村夏子『星の子』は芥川賞を受賞するよ

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今村夏子は芥川賞を受賞する

書店員という職業柄、このブログでは「小説」について書くことが多いのだけど、ひとつの文芸作品だけを扱った記事はあまりなく、しかも同じ著者の作品を二度扱うなんてのはかなり稀なことだ。*1

星の子

星の子

 

 

今村夏子という作家が、今夜発表の第157回芥川龍之介賞に選ばれて欲しくて、ぼくはこの記事を書いている。

あくまでも芥川賞に選ばれるのは「作家」ではなく「小説」なのだけど、今村夏子の場合はとても寡作な作家なため、『星の子』だけでなく既刊の『こちらあみ子』『あひる』にも光が当たりやすいだろう。

今村夏子作品の全てに通じる気味の悪さは、普段小説を読まない人にもおもしろさが伝わりやすいだろうし、『星の子』の読後感と同じ感覚を味わいたくて既刊に手を伸ばせばきっと期待通りのものが得られる。しかも、既刊にはそれぞれ「三島賞受賞作」「芥川賞候補作」といった肩書までついている。どれを読んでも間違いない。

ここでブレイクせずにどうする。ここで芥川賞を与えずにどうする。

2015年の『火花』、2016年の『コンビニ人間』など、芥川賞受賞作の大ヒットが続いた中で、広く読まれるべきだと思う精度の高い純文学作品が、広く読まれるきっかけとなり得る文学賞を受賞する。純文学のいちファンとしてこんなに嬉しいことはないのだ。

 

 

昼の光に夜の闇の深さがわかるものか

今村夏子の面白さを説明する時に使われる言葉は、みんな近しい表現ではあっても微妙に言葉のニュアンスは異なる。誰も完璧に的を得た言葉を選べない。

怖い。気味悪い。心がざわつく。不気味。奇妙。歪んでる。愛らしい。

物語の中で「なぜそうなったのか」「なぜそんなことを言ったのか」というような、説明されるべきことが説明されない。そこは欠落したまま、空洞になったまま、物語は問題なく進行して、そのまま結末を迎える。

読者は、その明かされない空洞の暗闇の中になにがあるのか「えっなにこれ……なにこれ……」と考えを巡らせては不安になったり怖くなったり気味悪い浮遊感に襲われたりする。この気色悪さに、読みながら毎度ニヤついてしまう。

たいがいは悪い方へ想像をしてしまうわけだけど、その空洞の暗闇に対する想像の膨らませ方は、読者によってそれぞれ異なる。だから、今村夏子の面白さを言葉で説明しようとすると「なんていうか、なんていうか……」と少し言い淀んでしまうし、みんなそれぞれ表現する言葉が異なってくる。そりゃそうだ、みんな微妙に異なるものを想像しているのだから。

作家・小川洋子は今村夏子作品を「読み手から言葉を奪う」と評したそうだ。小川洋子のような大作家にこんな言い方はできないが、「それな」という感じだ。

この空洞の暗闇こそ、今村夏子作品の魅力である。暗闇は読者の想像力を映す鏡として機能しているので、そこだけはどうしても言葉ではひとに説明できない。昼の光に夜の闇の深さがわかるものか。

 

 

『星の子』と新興宗教

今回の芥川賞候補(いやもう芥川賞受賞作と言ってしまいたい)である『星の子』は、あやしい宗教を信じてしまった両親によって歪んでいく家族のお話。

帯の煽り文にはこう描かれている。

大切な人が信じていることを、私は理解できるだろうか。一緒に信じることが、できるだろうかーー。

主人公ちひろが幼少の頃、「金星のめぐみ」という特殊な水によって病気が治ったのをきっかけに、両親があやしい宗教にはまってしまう。両親は頭に白いタオルを乗せて生活をする。まるでカッパが頭の皿を湿らせるように、白いタオルに「金星のめぐみ」というありがたい水をかける。それをしているととても体調が良いそうだ。

想像してくれたら分かると思うけど、どう見ても胡散臭い新興宗教だ。そんな行為に科学的な根拠なんてあるわけがないし、きっと意味もない。その水の効用、あるいはその宗教を、信じる根拠や理由はどこにもない。空洞の暗闇の中だ。納得いく説明がなくても、信仰してしまう。

でもじゃあ、お正月に神社で手を拝むという行為にお前は根拠を持っているのか?と言われると、ない。

本当は神様なんて存在しないぞとか、お守りに科学的根拠はないぞとか、そんなことを指摘されたとしても、ぼくは「いや、そういうことじゃないんだよ、信じるっていうのは」と呆れて返すだろう。お賽銭を投げたことがどうやって願いが叶うことに繋がるのか、ぼくは知らない。その行為に明確な理由はないのだ。科学的な根拠もない。

その暗闇の中に、期待したものはないと分かった上で、何かを信仰している。きっとみんなそうだ。だから「科学的な根拠はない」というのを理由に、あやしい宗教を信じる人をぼくが否定するのはあまり筋の通ったものではないだろう。その点ではお前も全然大差ねえよと。

その暗闇の中を信じられるかどうかは、やっぱり当人の想像力にかかってくる。

新興宗教に対して、「怖い。気味悪い。心がざわつく。不気味。奇妙。歪んでる。愛らしい。」と感じる人がいる一方で、それを信じる人もいて、救われる人もいる。

新興宗教がもつ空洞は、今村夏子が描く物語と同じくらい暗闇。

今村夏子が新興宗教を扱うのは、たぶん必然だったんだろうなと思う。遅かれ早かれーーが早めに訪れたことをうれしく思う。だからこそ『星の子』が彼女の代表作になると思うし、なるべきであると思っている。

 

 

『星の子』は純文学を加速させる

芥川賞の発表は今夜。

今村夏子の受賞会見の後に、「追記」として記事の続きを書こうと思う。

とりあえず、ぼくは「絶対に今村夏子が芥川賞をとるよ」と職場で断言してしまったので、とってくれないと困るのだよ。 

<了>

星の子

星の子

 
こちらあみ子 (ちくま文庫)

こちらあみ子 (ちくま文庫)

 
あひる

あひる

 

 

↘︎過去記事。芥川賞候補になった『あひる』。本当に最高だった。

↘︎過去記事。最近ぼくは新教宗教に興味があって、この前は「神慈秀明会」が設立した美術館に行ってきた。 そこの山間から見えた教団の教祖殿(一般人は立ち入れない聖地)の光景が、『星の子』の装丁イラストとそっくりだった。 

*1:村上春樹紗倉まなにつづく3人目だった。

飛行できない君と僕のために - 『メアリと魔女の花』の感想

 

メアリと魔女の花』を観てきた。

スタジオジブリ解体後に設立された「スタジオポノック」の第一回長編作品。監督は『借りぐらしのアリエッティ』『思い出のマーニー』の米林宏昌

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なお、この記事は、映画の決定的なネタバレを含まないように努力して書かれているが、気になる人は気をつけて。

 

魔女、ふたたび。

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このブログ記事の前置きがそうであるように、「スタジオジブリ」の名前を出さないことには、この映画を説明することはできない。

メアリと魔女の花』を観ようと映画館に足を運ぶほとんどの人が、ジブリ解体の顛末やポノックの成り立ちまでを踏まえた上で鑑賞するだろう。観客がある種の先入観を持ったまま鑑賞することを、制作側(ポノック)は拒否せずに、あえてその状況を逆手に取るような戦略をとっていることが僕にはとても好印象だった。

その戦略を象徴するのはやはり「魔女、ふたたび。」というキャッチコピーだ。ジブリ出身者の米林宏昌監督が魔女を描けば、宮崎駿監督の名作『魔女の宅急便』とどうしようもなく比較されてしまう。ならば、あえてそのことを強調してしまおうっていう技巧。

 

その戦略は広告だけに留まらず、映画本編の中においても、あえてジブリの記号を随所に散りばめているように思えた。あ、草むらで不思議な小動物を追いかけている姿はメイだ、冒頭はシータとムスカだ、生命大爆発みたいな画はポニョ的だね、自転車に乗るいけ好かない男の子と並行して歩いてるメアリなんてどう見てもキキやん!みたいな感じで。(もっとたくさんある)

あえて偉大な先人と映像的なイメージを重ねることで、ジブリとは異なる解を物語を通じて導き出した時に「あぁジブリとは全く別物である」ということを強く印象付けることができる。

鑑賞後に「いろいろとジブリっぽいけど決定的なところでジブリとは異なる」という後味を観客の頭に残すことができれば、この戦略は成功と言えるだろう。そう考えると「魔女、ふたたび」というコピーの素晴らしさを改めて思い知る。すげえ。

 

 

冒頭飛行

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冒頭のシーンが良かった。スピード感があるし、意味深な美しき閃光(夜間飛行)、映像表現・演出の技術はやっぱりすごく高いんだなと改めて思った。

良かったからこそ、冒頭シーンはもっと贅沢に時間を使ってもいいんじゃないかとも思った。アリエッティやマーニーからは想像もつかないスペクタクルなオープニングに「米林さん今回はちょっと違うんじゃねえか…!」と期待させられる。

 

 

文明か、新興宗教

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脚本は正直に言って酷いものであったかもしれない。現世の老人たち、魔法界の面々、登場人物それぞれの背景にどのような物語があるのか、全く見えてくることはなく、主役であるメアリとピーターすらぼんやりとした印象だけが残った。

問題を解決するためにメアリが唱える呪文の内容についてだとか、チェーホフの銃問題だとか、ラストシーンで「それわざわざセリフにするなよ……」と思ってしまうような野暮ったさとか、脚本やセリフ演出の粗を探せばキリがない。

 

まぁそれはいろんな人が指摘するだろうからいいとして、僕が気になったのは魔法大学の建築とデザインだ。

例えば『千と千尋の神隠し』に登場する異世界、『ハウルと動く城』の城。宮崎駿作品には、建築物から扉一枚、ランプ一つのデザインに至るまで、それがその形状であるべき必然性があり、そこの住人が普段どのようにそれを使用して生活を営んでいるかについてまで設計されていることが観ていて想像できる。だから、そこに暮らす人たちの「生活」が視えてくるし、その世界の全体を見渡した時に、ひとつの「文明」が立ち上がってくる。

メアリの魔法大学の建築物にはそういうものがない。この世ではない異世界であるということを演出するためだけのデザインでしかない。そこに暮らす生活者たちの日常は見えてこないし、文明もない。だからあれは、ただヘンテコなだけでしかなく、「新興宗教」の建築物のようにしか僕には見えない。

 

ここまで書くと分かってしまうだろうけど、最初の方に書いた「ジブリっぽいけど決定的なところでジブリとは異なる」というような後味を観客の頭の中に残すことに成功しているとは言い難い。というより、そういう次元の話ではなかった。

あと、個人的な要求としては、魔法界と現世を具体的な「結界」で結んで欲しかった。マーニーの時の「海」はとても良かったし(潮が引いている時は境界として機能しないなんて最高だよね)、今作も町と森の境界はちゃんと象徴的に在ったのに、魔法界と現世はぼんやりしていたように思える。児童文学を下敷きにする米林監督だからこそ、そこに意識がいってしまう。

 

 

<夜間飛行>

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<夜間飛行>という花が持つ不思議な力によって、メアリは魔女になり、箒に乗ることができる。魔力は数時間で切れてしまうため、メアリが魔女でいられるのは夜のあいだだけ。夜のあいだだけは、箒で空を空を飛べる。つまり、夜間飛行。

 

映画『メアリと魔女の花』は、ドキドキとワクワクに満ちたエンターテイメント作品を目指します。それは一方で、これからの時代を生きていく子どもたち、20世紀の魔法がもはや通じない世界で生きる僕たち自身の物語だと思っています。

メアリと魔女の花』公式HP 「監督からのメッセージ」より引用

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<夜間飛行>というアイテムと米林監督のメッセージを踏まえて、僕は2016年の小沢健二のライブツアー「魔法的」を思い出した。

「魔法的」というツアータイトルは「魔法っぽいけど魔法ではない」という意として僕は受け取っている。そのツアーでは、ライブの最後に彼が「日常に帰ろう」と言い残して姿を消す。そこでライブが終わる。

つまり、ライブのあいだだけは「魔法的な何か」を魔法なのだと偽り、観客に2時間だけの魔法をかける。そして最後には魔法を解いて、日常に観客を還す。

彼はそのツアーの中で『飛行する君と僕のために』という新曲を発表した。魔法があれば空だって飛べる。ライブの夜だけは、彼の疑似魔法にかけられて夜空を飛行することができる。しかしそれはずっとは続かない。不思議な魔法の花はいつまでも咲いているわけではないように。突然箒が力を失い、落下してしまうように。 

 

そして、『メアリと魔女の花』の主題歌『Rain』を歌うSEKAI NO OWARI*1は、その楽曲の歌い出しでこう告げる。

<魔法はいつか解けると僕らは知っている>

 

魔法はいつか解ける。魔女の花はいつまでも咲かない。飛行は突然できなくなる。

それを解ってしまった上で、それでも信じることのできる魔法とはどんなものなのか。

米林監督の言う「20世紀の魔法がもはや通じない世界」で、宮崎駿とは異なる魔法が生まれれば、それは発明だと思う。

この映画に新しい時代の魔法を見たとは思えないが、SEKAI NO OWARI小沢健二、<夜間飛行>にその糸口を見出すことはできそうな気がするし、何かが息吹き始めている手ごたえみたいなものが得たくて「魔法」「魔術」「呪い」に最近みんな熱心になっているんだと思う。

僕もその一人だから、米林監督が魔法使いの物語を描いてくれたことだけで割と満足している。米林監督が次回作もファンタジーや魔法使いの物語を描くとは思えないが、彼が偉大な先人の魔法を踏まえた上で、今信じられる魔法をかけようと、もがき続けるあいだは、ポノックの作品を追いかけようと思う。

<了>

The Art of メアリと魔女の花

The Art of メアリと魔女の花

 
スタジオポノック絵コンテ集 メアリと魔女の花

スタジオポノック絵コンテ集 メアリと魔女の花

 

 

*1:SEKAI NO OWARI小沢健二とも交流があり、2017年リリースの小沢健二の新譜『流動体について/神秘的』のCDには、ギターを借りた縁として「SEKAI NO OWARI」の名前がクレジットされている。