無印都市の子ども

まなざしのゆくえ

第159回芥川賞候補作の感想と予想

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第159回の芥川賞候補作を読みました。

高橋弘希「送り火」(文學界5月号)

町屋良平「しき」(文藝夏号)

古谷田奈月「風下の朱」(早稲田文学初夏号)

松尾スズキ「もう「はい」としか言えない」(文學界3月号)

北条裕子「美しい顔」(群像6月号)

 

全体的な印象として、掲載誌と作家の文体がそれぞれ共鳴しているようで、ゆえにどれも高い純度に仕上がっているのかなと思いました。町屋良平は文藝らしいし、高橋弘希は文學界らしくて、古谷田奈月は早稲田文学らしかった。そして、名前を挙げたこの三者が、今回の受賞の有力候補かなと予想しています。

 

送り火

送り火

送り火

 

 「掲載誌と作家の文体がそれぞれ共鳴している」と書きましたが、特に高橋弘希はもともと芥川賞らしい古典的な文体であるし、芥川賞の傾向を知っている読者からすれば、『送り火』の物語構成は「あ、芥川賞狙ってるな…」とはっきりわかるような作品になっていました。芥川賞と共鳴している、という点においては高橋弘希がずば抜けているかなぁと思います。

ただ、田舎のコミュニティに関する書き方や暴力の扱い方には様々な異論がありそうで、選考会のなかでどうなるかは不明。高橋弘希は遅かれ早かれ芥川賞とるだろうと思っているのですが、もう4回目の候補なんですね。そろそろとってくれ…。

 

■しき

しき

しき

 

ぼくの受賞予想は町屋良平『しき』です。多少読みづらさはあるものの、それは文章の拙さではなく意図的な仕掛け。褒め言葉ではないのかもしれないけど、文藝出身作家らしい洗練された文章でとても好みでした。文藝出身作家が好きなんですよ…。

「思考」と「身体的な運動」がうまく連結せず、アンビバレンスな感情や踊りたい欲求が疼く様子は、デビュー作『青が破れる』のそれよりもはるかに丁寧だと感じました。これが受賞してくれたら嬉しい。

特に誰も言及してないけど、ラストシーンがとても美しくてよいです。

 

■風下の朱 

無限の玄/風下の朱 (単行本)

無限の玄/風下の朱 (単行本)

 

古谷田奈月の作品を読むのは初めて。芥川賞というよりも三島賞っぽい作品だなと思って読んでいたのですが、どうやら前作で三島賞をとっているんですね。

女性だけのホモソーシャルな空気感?が京アニの日常系アニメを彷彿させる。野球選手になるためには、自身の女性性から逃れ続けなければいけなくて、でも逃げられるものではなくて。性との向き合い方に哲学を見出し、それを小説に落とし込む技術は途轍もない力量だなと思いました。仮に今回の芥川賞を受賞しなくても、長く活躍し続ける作家だと思います。

 

■もう「はい」としか言えない

とにかくおもしろくてザクザク読める。松尾スズキを読むのも初めてだったのですが、なるほど本谷有希子はこういうところを受け継いでいるんだなぁと、特に序盤はそんなことを考えていましたが、最終的にとんでもない地点まで飛んでいくパワーは松尾スズキの力量、というかやんちゃさ。

とてもおもしろいですが、他の候補作を見渡すと「もっと他に受賞するべき作品があるだろ…」と思えてならないので、受賞は難しい気がします。

 

■美しい顔

群像 2018年 06 月号 [雑誌]

群像 2018年 06 月号 [雑誌]

 

盗用に関する騒動は一旦横に置いていくとして。

読みながら何度も泣いてしまいました。読み進めるのがつらいくらい。しかし、小説を読んで泣くというより、実際にあった震災のことを思って泣く、という感触でした。NHK朝ドラ『あまちゃん』が始まったときにも考えていたことですが、「あの震災をわざわざフィクションで描く意味」について、未だにぼくは腑に落ちるような答えが見つけられていないようです。(NHKでよく流れる『花は咲く』という歌すら苦手だ…)

小説の終盤、登場人物に作家の考えをそのまま長台詞で喋らせているところなど、たぶん小説の技術としては他の候補作に比べて劣る点が多いものの、それでも読者の心を動かすだけの熱量が確かにあって、そういう力をもっとも感じる作品でした。盗用どうこうは別として、そこはちゃんと評価されてほしいと思います。

 

* * *

 

最初に書いたように、有力候補だなと思うのは高橋弘希『送り火』、町屋良平『しき』、古谷田奈月『風下の朱』です。そして、どう転がるか分からない北条裕子『美しい顔』。

個人的に受賞してほしいのは町屋良平。『しき』は「文藝 夏号」に掲載された作品なのですが、その雑誌の目次についていた見出しが、この作品をうまく表現していると思いました。

未熟なこころで「踊ってみた」春夏秋冬

こういう作品が、たとえば主人公たちと同世代の読者などに届けば、純文学好きからすればとても嬉しい。芥川賞、踊ってみた、尾崎世界観。届く準備はできていると思います。

<了>

しき

しき

 
送り火

送り火

 
無限の玄/風下の朱 (単行本)

無限の玄/風下の朱 (単行本)

 

STU48の名曲『暗闇』はもっと発見されるべき

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STU48のデビューシングル『暗闇』

STU48が『暗闇』でデビューしたのは2018年1月31日。実はその時点でぼくはこの記事を書き上げていたのだけど、あまり納得いかずにお蔵入りにしていた。どうせなにか書かなくてもこの曲は売れるだろうなんて思っていた。

しかし今になってもバズる様子はない。48Gが好きな人たちのあいだでは評価が高い楽曲ではあるが、その外側までは波及していかない。せっかくの名曲がこのまま腐っていくのはなかなか悲しいので、せめて自分のブログで「ええ曲なんやで」と発信していこうと思う。

 

一見すると大学名のようなSTU48秋葉原や栄など、48Gはこれまで都市を拠点としていたが、打って変わってSTU48は、海上を拠点とする“瀬戸内”の海を意味している。

都市から海上へ。その移行は、都市の中で多くの人を呼び込むための劇場から、海の上で限定された人だけを非日常へ誘う劇場への移行であり、つまりビジネスモデルがこれまでとは根本的に異なるのではと予想できるのだが、それはのちのち見えてくることとして。

 

 
  

暗闇

デビューシングルにしてはどこか暗い影を落とす『暗闇』というタイトルに、どうやらファンのあいだでは賛否が分かれているらしい。ぼくは友人と「これ、3、4枚目に出すシングルのタイトルだよね」なんて話していたが、これまでの経験則(AKBは予定調和の破壊、欅坂は“らしさ”の裏切りの連続である)から見て、このタイトルに対する違和感は、秋元康の本気度だと受け取れることができよう。

明治大正期の文豪(夏目漱石『明暗』、谷崎潤一郎細雪』、芥川龍之介『歯車』など)の小説のようにも思えるこのタイトルは、むしろ女の子たちの清楚な姿に奥行きを生むような絶妙な言語センスだとは考えられないだろうか。

ちなみに、太宰治のデビュー作品のタイトルは『晩年』である。『晩年』に比べられば、『暗闇』なんて全然暗くない。

 

 

秋元康の一人称

あくまでもぼくが考える基準であるが、歌詞を読み解く上で秋元康の本気度を測る指針として「どの一人称を起用しているか」というポイントがある。

秋元康が本気でいい曲を書くときは必ずと言っていいほど一人称は“僕”を採用している。(例外として『恋するフォーチュンクッキー』があるが、あれは指原莉乃のソロ曲『それでも好きだよ』の延長線上の意味合いが強いために一人称が“私”になっている。とぼくは勝手に解釈している)

『暗闇』もまた一人称に「僕」を起用しており、強烈なサビが強い印象を残す。

夜よ 僕を詩人にするな

綺麗事では終わりたくない

生きることに傷つきうろたえて

無様でいたい

なんというか、語弊を恐れずに言うと、秋元康が作詞でたまに見せるちょっと気持ち悪い部分が、ちゃんとモノになっているような気がする。

 

MV&アートワーク

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まだメンバーの知名度が0に近いために、ポスターやジャケットなどが果たすべき役割は大きい。坂道グループのクリエイションをそのまま移植したようなアートワークは、やはり2018年現在の正解だと言わざるをえない。そして美しい明朝体は、正統なアイドルであることを強く主張する。

少女邂逅」の枝優花監督を起用したMVは、少女たちの美しさを写しながらも、「波風立てない関係では本気になれない」と言わんばかりに、そこにある人間関係の揺らぎさえも捉えてしまう。

2018年7月14日現在、再生回数は約160万回再生であるが、楽曲の完成度から言うと欅坂46の『サイレント・マジョリティー』と同等のインパクトを世に残していてもおかしくない。おかしくないと思うんだよ…!

 

* * *

 

音楽に言葉を尽くしても仕方なくて、4分50秒の動画を見てもらう他ない。

どこかでガッと巻き返して欅の楽曲くらい認知されてほしい。そう思うくらい名曲だと思っているので、ぜひMVはフルサイズのまま残してほしいし、SpotifyApple Musicなどのサブスクで配信してほしい限りである。48Gと坂道のハイブリットな路線と、船上という新しいステージで、とんでもない発明をしてくれるのを気長に待とうと思う。

<了>

「暗闇」<TypeA>

「暗闇」