『誰も知らない』という映画を観て以来、日常世界が違って見える。
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映画や小説、マンガなどの作品を観たあとに「世界が違って見える」というのは、世間一般的によく言われる事かもしれないが、実際にそれを感じたのは今回が初めてだ。
朝起きた時のカーテンの揺れに、コンビニの照明電光に、夜道を走る自転車のライトに、いつもと違う何かを感じる。しかしこういった感覚も、もしかすると時間が経つにつれ薄まってゆくかもしれないし、次観た時にはもう何も感じなくなるかもしれない。 だから、ここに何か書いて残しておきたいのだけれど、何も書けない。書けないものだからこそ、映画という表現が今も生きているのだ。
そもそもこの映画を観ようと思ったきっかけは、この映画の監督を務めた是枝裕和が手がけるテレビドラマが今放送しているからだ。
僕は昔深夜で放送していた『誰も知らない』の1シーンだけをチラっとだけ観たことがあって、「うわーなにこれ生々しい演技」という印象だけを持っていた。
その自然で生々しい演技を期待してドラマを見始めたのだけれど、少し期待と違っていた(期待していたのとは違うけど、子役の女の子の演技はとても好きです。このドラマについても近いうちに書きたい)。
ドラマに期待していた分のわくわくを埋める為に、改めて『誰も知らない』をしっかり観ようと思ったのだ。カンヌで賞獲るような有名な作品なので内容の説明なんかは省くが、強いて言葉にするなら「やるせない」映画だと思った。というか、それくらいしか言葉にできない。
知っている世界での出来事だと言うのが怖い。
僕は、親に逃げられる絶望を知らないし、目に見える範囲に飢えがある生活を知らない。外に出られない閉そく感を知らない。けれど、彼らが口にするカップヌードルは僕もよく食べるし、同じようなゲームで遊んだことがある。歓楽街も歩くし、同じくらいの歳の頃は公園で遊んでいた。
だからこそ、映画を観たあとに歩く街やコンビニに彼らの姿がフラッシュバックするのだ。
僕はこの記事の最初に「日常世界が違って見える」と書いたが、もしかするとこれまで見えなかった裏のところまで見えるようになったのかもしれない。苦しさなのかもしれない。本当に裏が存在するのかは知らないが、僕の目が裏を認識してしまっている以上、それは存在していることとほぼ同じ。
正直言って見たくなかったのかもしれない。
さっきも書いたように、言葉にできないのは当然で、言葉にできないから映画という表現が生きていけるのだ。
音楽や小説にも同じことは言えると思うんだけど、映画を観ているその瞬間瞬間にしか映画は存在できなくて、そこにしか感情は存在できない。観たあとの感想は映画の屁でしかなくて、 このブログ記事に僕の映画を観て感じた事や映画鑑賞後に僕の目に見えている世界が書き残せるわけではない。
美しいなんて言ってはいけないと思うし、悲しいね、可哀そうだねっていう映画でもない。
あってはいけない事件だと思うし、正しいことでもない。
そんな否定形でしか語れない。
ただ言えるのは、どうしようもなく、僕の目はそれを知った上で日常生活を見つめているということ。
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