読書芸人とあひる
『アメトーーク』で紹介された今村夏子著『あひる』が、単行本として発売になった。
ようやく発売になりました。いままでは、福岡の文芸誌「たべるのがおそい」に掲載されたのみだったので、入手するのがちょっと難しかったのだ。
Amazonの書影はちょっと地味に見えるかもしれないけど、実物には宣伝文の入った帯が巻かれており、背表紙が緋色で、とても品の良い装丁になっている。
“Amazon映え”しない表紙はもったいないなーと思うけど、実物はほんとに素敵。
『アメトーーク』で紹介された本の中で、今現在特によく売れているのは『コンビニ人間』と『マチネの終わりに』の二作だというのが、全国の書店員の総意だろう。
例えば又吉直樹の『火花』がそうであるように、小説がよく売れるときというのは、普段小説を読まない人の手にも届いたときなわけだ。比較的読みやすい文章で書かれたこの二作が売れていること(普段小説読まない層にも届いていること)は、とても良い傾向だと思っている。
そんな中で昨日今日あたりから本屋に並び始めた『あひる』。
番組で紹介された本の中では唯一、単行本として未発売のものだった。僕自身は読書芸人ブームにあまりのれないのだけど、この小説がそのブームに巻き込まれて売れていってくれたら嬉しく思う。
今年上半期の芥川賞候補作に選ばれた『あひる』は、いわゆる「純文学」というジャンルに属することになる。普段小説を読まない人の中には「芥川賞」や「純文学」という言葉に苦手意識を持っている人は少なくないだろう。
『あひる』はそんなザ・純文学、ザ・芥川賞(候補)な作品なわけだけど、芥川賞ひいては純文学というものが、どういう種類の面白さなのか?を普段小説を読まない人にも理解してもらいやすい作品になっていると僕は思う。
だからこそ「普段手に取らんけどなんか面白そうなの読んでみようかねー」という方々にアプローチできる機会に、しっかり読まれてほしいのだ。
事前情報をあまり仕入れずに読んだほうが面白いと思うので、ここで詳しく内容を説明することはしない。あひるが主人公宅にやってくる、それだけだ。
あひるを飼い始めてから子供がうちによく遊びにくるようになった。あひるの名前はのりたまといって、前に飼っていた人が付けたので、名前の由来をわたしは知らない。
『あひる』(書肆侃侃房) - P.6
50ページほどの短めな小説で、文章がとても読みやすい。『コンビニ人間』も読みやすいけど、それよりも更にさらさらと読める。漢字さえ知っていれば小学生でも問題なく読めるだろう。
文章が読みやすい上に何かどうおもしろいのか比較的分かりやすい、けれど安っぽくはないし小説としての完成度が高い。オードリー若林くんは「おぎやはぎ」の漫才に喩えたけど、僕は「かもめんたる」のコントに近い気持ち悪さだと思う。
僕にとっては2016年No,1小説だし、もしかしたらここ数年の中でもいちばんかもしれない。「僕の好きな純文学っていうのはこういうのだよ」と伝えるための名刺代わりとして、これからは『あひる』の名前を出していこう――なんて考えるくらいにはベタ惚れしている。こんなにも人に薦めやすい小説に出会ったのは初めてかもしれない。
昨夜、「久しぶりにいい小説読んだなー」とホクホクしながら夜道を歩いているときに、そうだよなぁもっと自由でいいんだよなぁ小説なんてと思って、うれしくなって、ほんとにこんな顔してた。
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美しい表現である必要はない。正しい文法である必要はない。伏線が回収される必要はない。謎が解決される必要はない。矛盾が残っても全然構わない。
ほんとのところ、そんなことどうだっていいのだ。おもしろい物語になってさえいれば。
<了>
ちなみに読書芸人のなかで僕がいちばん信頼しているのは光浦さんです。