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まなざしのゆくえ

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』:感想と考察

 

村上春樹の新刊を発売日に購入して読むのは実は初めての体験で、「早く読みたい!」というこのわくわく感はちょっと他の作家さんでは味わえないなぁと思いました。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

ブログにアクセスさせておいてこんあ事言うのはおかしいけど、物語のあらすじやタイトルの意味などを知らずに読んだほうが良いと思うので、未読でこれから読む予定があるのなら、僕のこのブログ記事は読まずに戻ったほうが良いと思われ。というか別にブログを読んでくれる人をあまり考えずに僕の思ったことを書いていこうと思います。

 

 

あらすじとタイトル

物語のあらすじを説明することは、同時に長いタイトルの意味を説明することにもなります。

大雑把に説明すると、多崎つくるという36歳の主人公が、高校から大学時代に壊した友人との関係を修復しようとする為にかつての友達を“巡礼”してまわるというお話。そのお友達4人にはみんな名前に「色」がついており(アカ、アオ、シロ、クロ)、多崎つくる君だけ“色彩を持たない”。

 

 

視点と名前

大方の予想通り、本書は三人称でした。

しかしあくまで多埼つくるの視点/視線による単元描写です。彼の視界にはないものや、相手の心は読めるような「神の視点」ではありません。

多くの春樹作品の主人公がそうであるように、多埼つくるも30代半ばくらいの男性の主人公です。『アフターダーク』や『1Q84』で導入した新しい焦点ではありませんでした。それは少し残念。批評家・宇野常寛が本書について≪『1Q84』があまりうまくいかなかったのでそのリハビリ≫とおっしゃっていました。

アカ、アオ、シロ、クロというカラフルな名前は、まるでポール・オースターの『幽霊たち』や、なんとかレンジャーみたいな戦隊モノのようです(そういえば戦隊モノってたいてい5人組で、その内2人が女性ですよね)。

 

 

村上春樹とインターネット

インターネット関連のものは進化があまりにも早く、数年で世間から消えてしまうような固有名詞を小説に登場させるわけにはいきません(作中にポケベルが登場したら、古臭さを感じてしまいますよね。)

だから本書にgoogleFacebookTwitteriPodスマートフォンという固有名詞が出てきたことに僕は驚きました。(P.107、P.138、P.355)。しかも地味に結構活躍します。

しかし、春樹の主人公はインターネットには距離を置いていて冷たい態度をとっています。ある意味期待通りではありますが笑。

 

 

シロを殺したのは誰?

シロをレイプした犯人、そして殺害した犯人は誰なのかという問いに対して、読者には予想もできない犯行手段や犯人を差し出すのは、ミステリー作家の仕事です。

しかし村上春樹は純文学の作家。この場合、純文学作家が問題にすべきことは、犯人の正体ではなく、殺人やレイプという突然降りかかってくるような、意味も動機も持たない「不条理な暴力」に対して僕たちはどのように向き合っていくべきなのか、ということだと僕は思うのです。それに対する回答らしきものを見つけることに意味があって、変な話だけど犯人が誰かなんてどうでもいいのです。

 

 

リトルピープルの時代

いつかこの小説が英語圏で出版される際、きっと「小人」はdwarfと訳されるのだろうけど、もしかするとlittle peopleかもしれないと僕は期待しています。だとしたら、シロに憑いていた”悪霊に近い何か”は“リトルピープル的な何か”という解釈ができそうです。

村上春樹は『ユリイカ』の中で、リトルピープルについて語っています。

「リトルピープルが何かというのは、僕にもわかりません。(中略)しかし「リトルピープル的なもの」が何かというのは、おおよそわかるような気がします。それは目には見えぬものであり、意図のよくわからぬものであり、我々の足下の暗闇の中に生息しているものです。」

僕が上述した「不条理な暴力」とはリトルピープルのことです。

村上春樹が「我々の足下」と表現するように、それは地下からやってきた地震や地下鉄サリン事件のような「不条理な暴力」であり、かつて村上春樹はそれに近いもののメタファーとして描いた「やみくろ」という地下に生息する生き物でもあります。

 

 

最終章について

最終章は今後の村上春樹を語る上でかなり重要なものがたくさん詰まっていると思いました。しかし、新宿駅を傍観する視点や語り、淡い危惧は少し老人臭い。老年を迎えた村上春樹にとって、日本が「帰る場所」となるのかは分からない。けれど、阪神大震災オウム事件、9.11そして3.11を経て、彼が日本へ帰ろうとしている。無国籍な作品を描いてきた村上春樹が、ここへ来て「日本の作家」に変化してきたような気がします。

 

けれどやはりその「駅」の想像力は、正直言ってあまり魅力的には感じませんでした。

むしろ、宇野常寛氏が説いていた駅の想像力、≪一人の恋人を迎えるための駅ではなく、今必要なのは、異なる物語/価値観を信じる人間同士を交通整理する為のコミュニケーションツール/プラットホームである≫という意味での「駅」のほうが僕には魅力的に映りました。

 

 

冷凍都市・東京

最後に一つ、動画を紹介します。

東京の街を撮った映像作品です。この映像の作者は外国人なので正確には東京ではなくTOKYOなわけですが、僕が村上春樹を通して視る東京の姿、特に本書の最終章で描写されている新宿の風景と強く共鳴していると感じました。

 

<了>

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

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考える人 2010年 08月号 [雑誌]

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