テレビもネットも彼女のTwitterも、発売日が2月17日であることを強調して伝えているので、地方の書店で働くぼくは、今朝から「千眼美子の本ある?」「幸福の、科学?のアレ、ありますか」という問い合わせを何件も受けることとなった。
実際に全国の書店に並ぶのは27日頃からのようで、普段からうちの書店は幸福の科学の書籍を仕入れていないから、発売日にその本の入荷があるのかどうか、今はまだ分からない。
当たり前な話だけど、書店にはいろんなジャンルの棚があって、自分の興味の外側にあるジャンルの棚は意外と見えていないことが多い。あなたがよく行く書店にも、あなたが普段立ち止まらない棚ーー例えば宗教の書籍が並ぶ棚があったりして、なんで今まで目に付かなかったんだってくらいドドン!と『新・人間革命』が並んでいたりする。
創価学会の会員の人たちは皆、創価学会のことを「学会」と呼ぶ。はじめてお客さんに「学会の本はどこにある?」と聞かれた時、ぼくはそれが創価学会のことを指す言葉であるとは分からなかった。
逆に、会員でない人、というか身近に創価学会の会員がいない人は、「学会」ではなく「創価」と呼ぶことが多い。ネットだけで情報を仕入れている人は、一様に「創価」と呼んでいる印象だ。そして、創価学会のことを「創価」と呼ぶ人は、創価学会の書籍を買い求めることはない。
同じように、これまで幸福の科学の書籍を買い求める人は、基本的には幸福の科学の会員たちだった。「幸福の科学」という言葉は使わずに、端的に書籍のタイトルだけを告げる人が多い。*1
しかし今日、清水富美加の本を買い求めにきた人たちは、「清水富美加って人の、あれ」だとか、「幸福の科学の、テレビでやってるやつ、ある?」だとか、おそらく会員でない人たちがそれを探しにやってきた。
初版は1万部だそうだが、会員以外の需要もそれなりに大きそうなので、1万では収まらないだろうと思う。
東京都内の限られた書店では、予告されていた通り今日からその本が販売されていて、早々に完売した書店も多いと聞く。BuzzFeedの記事には、予約購入したほとんどがメディア関係者だったとの報告もある。
まだ入手できない人がたくさんいる中で、Twitterや2ちゃんねるなどを中心に、書籍の中身が部分的に明かされていく。
手書き文字のまえがきや死にたいと考えていた頃の話。何が書いてあって、何が書いていなかったか。
遅かれ早かれうちの書店にも入荷するだろうし、きっとそれまでに何件かは予約を受けることになるだろう。それまでに何度も問い合わせを受けるだろう。
幸福の科学という教団の是非、騒動の真相、清水富美加の本音も、教団が企てる戦略も、ぼくには何も知りえないことだが、あまり気持ち良く売ることのできる商品でないことだけは明らかだ。このわだかまりが今後の騒動の進展によって解消されることは、たぶん期待できない。
どうしようもないくらい不明瞭なこのもやもやとした気分、2015年の『絶歌』が発売になったときとそっくりだと、今朝働きながら気がついた。
もちろん、元少年Aと清水富美加を同列に扱っているわけでは断じてなくて、あくまでその本が発売になった時のぼくの気分が似てるだという話だ。
ほとんどが自分の気分のせいだろうけど、書店の雰囲気も微妙にどんよりとしたものになっているように思えた。少なくともあのときは、お客さんから「例の本あるか?」と聞かれれば、「あぁ絶歌のことだな…」と瞬時に判断できるくらいには、書店の話題の中心は間違いなく『絶歌』であった。
今も似たようなもんだと思う。例の本といえば、清水富美加のあれ、幸福の科学のあれのことだ。正直ちょっとしんどい。
* * *
『絶歌』が発売になったのは2015年6月なのだけれど、実はその一ヶ月後の7月には「例の本」という言葉が指す書籍は別のものへと移っていた。
又吉直樹の『火花』だ。
芥川賞を受賞して、全国の書店から『火花』の在庫がなくなった。
「例の本あるか?」と聞きにきたおっちゃんに、レジの女の子が「火花売り切れてるんですよー」と笑って返す光景を見て、あぁ一ヶ月前まで「例の本」と言えば『絶歌』だったのに、随分と話題が明るくなった、光が差したみたいだと感じた。
そして2017年2月。
現状、「例の本」は清水富美加である。
しかし、3月初旬には、文芸誌「新潮」2017年4月号で又吉直樹の第二作目の長編が一挙掲載される。芥川賞第一作として既に大きな話題となっているし、きっとすぐに単行本で発売されるだろう。
『絶歌』の雰囲気を上書きしていってくれた又吉直樹には、書店で働く身として本当に感謝している。
そして、彼の最新作が新たな「例の本」になってくれることを、ぼくは願わずにはいられない。
<了>
*1:これもあくまで僕の印象でしかないのだけれども。