今年の春、NHK朝の連続ドラマ小説『あまちゃん』が始まってちょうど一週目の時に書いた『あまちゃん』の感想記事が、僕のブログ記事の中で1、2を争うくらいの人気記事になりました。 (NHK朝ドラ『あまちゃん』感想 ~宮藤官九郎と(‘ jjj ’)/といずれ来たる震災~)
毎日楽しませてくれた朝ドラが終わるのは寂しい。というか、はっきり言って怖い。『あまちゃん』なき世界が来るのが怖いよー。
あまちゃんに震災編なんてなかった
上記の記事に加え、Twitterでも度々書いてきたことなのですが、たった二年前に現実で起きた「震災」と「フィクション」の適切な距離感が僕には未だに分かりません。*1
その距離感に対する答えを『あまちゃん』が示してくれるかなぁなんて思って観ていましたが、今のところ腑に落ちることはありません。
震災、要ったと思いますか?
やっぱり僕は「震災をフィクションで描く」という事にどんな意味があるんどよ…と思う。たった数年前に現実で起きた震災を使って架空の人物(足立ユイや天野夏)を死なせる事に違和感を覚える。かと言って北三陸のみんなは全員無事でしたって展開もちゃんちゃらおかしいよね。 #あまちゃん
— 潮見惣右介 (@shiomiLP) August 31, 2013
*2
僕は震災によって架空の登場人物を殺すのは賛成できなかったので、夏ばっぱが震災で死ななくて良かったと思ってる派です。
でも「誰も死なない震災」なんて都合よすぎると思いませんか。
震災で誰かが死んでも違和感が残るし、誰も死ななくても違和感が残る。僕の言ってることは矛盾しているようですが、つまり、震災を扱うってことは物語展開がどっちに転んでも違和感しか残らないということです。
震災の描写そのものはとても良かったです。
ジオラマの使い方はもちろんのこと、それに加えて音楽の使い方も素晴らしかったと思います。緊迫感を煽らず、無駄に悲しい音を鳴らさず、それでいて観ていて息の詰まる良い塩梅のBGM。音楽担当した大友良英さんは、『その街のこども』という映画の音楽も担当していた方で、その映画も震災(阪神大震災)を扱った作品なのです。その実績があったから『あまちゃん』音楽に起用されたのだと思います。とてもバランス感覚に優れた方だと思いました。
北三陸編・東京編、そして復興編
『あまちゃん』視聴者の多くの人がそうであるように、僕も被災したわけではありません。だからこそ、東北の壊れた街や津波を見るよりも、3月11日の東京の人達の“混乱”を見るほうが、僕にとってはその日をより鮮明に思い出します。
アキちゃんには東京に残るという選択肢を取ってほしかった、というのは個人的な願望ですが、もっと言うと3日分くらい尺を使って、帰宅難民になり夜の東京の街を歩き彷徨うアキと北三陸鉄道の上を歩くユイだけを描いてほしかった。人間の弱いところを描く絶好の夜だったんじゃないかって思うのです。繰り返しますが、あくまで個人的な願望です。
そういうシーンがなくて、震災後すぐ月日が流れたってことは、『あまちゃん』に震災編なんてものはなくて、北三陸編・東京編、そして復興編があるのみなのです。
『あまちゃん』は、過去に壊れてしまったもの、壊れたまま放置していたものを復興させる物語だったと思います。それは親子関係であったり、夫婦関係であったり、足立家であったり。
そんな物語の最後に「震災からの復興」があるのは、とても自然なことなのかなぁと今は思います。
さて、最終回の朝ですね。
今晩にでも改めてあまちゃん記事書くつもりなので、よろしくお願いします。
<了>

あまちゃんメモリアルブック NHKウイークリーステラ臨時増刊10月30日号
- 作者: 能年玲奈,宮藤官九郎
- 出版社/メーカー: NHKサービスセンター
- 発売日: 2013/09/18
- メディア: 雑誌
- この商品を含むブログ (8件) を見る

連続テレビ小説 あまちゃん オリジナルマグカップ 潮騒のメモリー
- 出版社/メーカー: 有限会社デジレクト
- メディア:
- この商品を含むブログ (1件) を見る