出だしよければ全てよし
書き出しは小説の命だ。そう主張する作家は多い。
物語の冒頭は、読者にとっても重要な部分で、買おうか悩んでいる本を本屋でぱらぱらと立ち読みをするとき、チェックするのはやはり書き出しだろう。
その書き出しの文章が良いものであれば、内容全体への信頼(きっとええ本やろな)にも繋がってそのままレジを持っていくこともあるだろうし、あるいは語彙のセンスや文章のリズムが自分の肌に合わなくて「あ、これは違うな……」と気付くことができたりする。
“文豪”と呼ばれるような著名な作家たちは皆、秀逸な書き出しを遺している。
〈吾輩は猫である。名前はまだ無い。〉
〈国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。〉
〈恥の多い生涯を送って来ました。〉
最近では<ほんのまくらフェア>なんてのもあったように、人を惹きつけるような力のある書き出し文章は、広告のキャッチコピーのように作用し、物語への没入を喚起する。
作家が命をかける。それくらい大事なところだ。
角川文庫の<カドフェス2017>
今回の記事では、個人的に「あ、これすげえな」と思った書き出しを紹介しようと思う。
その小説は、三島由紀夫の『夏子の冒険』(角川文庫)だ。
『金閣寺』や『仮面の告白』『潮騒』などの三島由紀夫作品に比べると、知名度が低いため、小さな書店では『夏子の冒険』を常備していないことが普段は多い。普段はね。
毎年夏に角川文庫が大々的に展開している文庫フェア〈カドフェス〉というのがあって、今年はそのフェアに『夏子の冒険』がリストアップされている。しかも特別限定カバーが用意されているほどの力の入れよう。なので、今年の夏に限って言えば、全国ほぼすべての書店で『夏子の冒険』を簡単に手に入れることができるだろう。
ちなみに特別限定カバーはこんな感じの装丁になっている。おっしゃれぇ。はいからぁ。
夏子の冒険
『夏子の冒険』の書き出しの一文はこう始まる。
或る朝、夏子が朝食の食卓で、「あたくし修道院へ入る」といい出した時には、一家は呆気にとられてしばらく箸を休め、味噌汁の椀から立つ湯気ばかりが静粛の中を香煙のように歩みのぼった。
注目したいのは、この書き出しのたった一文に含まれている情報量の多さである。
たった一文だけで、場面の場所、登場人物、時刻、状況、空気感など、物語を始めるにあたって必要なものがほぼ全てで揃う。しかも、構成に無理のない、極めて美しいリズムで刻まれた文章で。書き出しとしては理想的、ほぼ百点満点ではないかと思う。
ここで判明している情報の多さを確認するために、5W1Hに当てはめて整理してみる。
いつ→或る朝
どこで→食卓で
だれが→夏子が
なにを→出家宣言を
どのように→唐突に
なぜ→?
或る朝、つまり一家にとってはいつも通りの朝。なんでもない日の朝であるからこそ、夏子の宣言の突然さが際立つ。何もないはずの日に、何かが起こるのだ。
最後の「なぜ」だけが記述できないのだが*1、それは物語を先に進めるためのフックなので、クエスチョンのままのほうが良いだろう。それに、発言した夏子以外の人物も、読者と同じようにクエスチョンなままであることが表現されている。つまり、夏子がその発言を「なぜ」したのかはわからないが、「夏子がその発言をなぜしたのか一家にもわからない」はわかる(一家のリアクションから読み取ることができる)。情報としては十分だ。
一家の手が停止した中で、味噌汁の湯気だけが立ちのぼる。それがあるだけで、読者の頭の中に浮かび上がってくる映像は静止画ではなく、時間の流れを感じさせる動画になる。
「香煙のように」という比喩も、その場の静粛さを際立たせている。普通、線香を焚いてはしゃぐ人はいないだろう。御墓参りに行けばその煙の前で、一家は黙って静かに手を合わせる。香煙は、どちらかといえば静けさを連想させるアイテムだ。
いろんな要素が詰まっていて、キャッチーで、それでいて洗練された無駄のない書き出し、僕は完璧だと思った。
たった一文だけで、場面の場所、登場人物、時刻、状況、空気感など、物語を始めるにあたって必要なものがほぼ全て揃う。しかも、構成に無理のない、極めて美しいリズムで刻まれた文章で。
* * *
ちなみに、『夏子の冒険』は最後の展開も秀逸だ。
一家の前で突然出家宣言する夏子のかっこよさに「夏子いいな笑。」と思った読者は、物語の最後にまた「あぁやっぱり夏子いいな笑。」と思ってニヤけるだろう。*2
或る朝、夏子が朝食の食卓で、「あたくし修道院へ入る」といい出した時には、一家は呆気にとられてしばらく箸を休め、味噌汁の椀から立つ湯気ばかりが静粛の中を香煙のように歩みのぼった。
ぜひ店頭で手にとってここだけでも読んでみてほしい。きっとそのまま続きを読んでしまうだろう。
また、角川文庫「カドフェス」だけでなくそれと並行して展開されているであろう、集英社文庫「ナツイチ」、新潮文庫「新潮文庫の100冊」といったフェアも、基本的にはずれのないラインナップだ。
ピンとくる本がなければ、書き出しだけを何冊も立ち読みするのも楽しいと思う。
そんなわけで、一応記事の最後にはいつものようにAmazonのリンクを貼るけど、こればっかりは書店で選んで買うのが良いに決まっている。
<了>
そういえば2年前に川端康成『雪国』の冒頭を考察した記事を書いたことを思い出した。
あらかじめ欠落した主語を空想する話。